紅茶の淹れ方論争
大英帝国の遺産である茶は、イギリスでその力を維持している。ミルクなしで飲むものもいる。おそらくジャスミンの香りのするアールグレイを選んで、レモンの薄切りを加えて飲むだろう。しかし大多数の人間はミルクを加える(カップにミルクと茶のどちらを先に入れるかは論争中だ)。
(『朝食の歴史*1』p128)
あ、これってまだ論争中なんですか。『代替医療のトリック*2』では、決着ついていそうな書き方でしたが。
ケンブリッジ大学にいた当時、彼(サー・ロン・フィッシャー)は理想的なお茶の淹れ方はいかにあるべきかという論争に巻き込まれた。ひとりの女性が、ミルクあらかじめカップに入れておき、そこにお茶を注ぐべきであって、お茶にミルクを注げば味が落ちてしまうと言い張ったが、同じテーブルにいた科学者たちは、そんなことで味に違いは生じないと言った。そこでフィッシャーはすぐにひとつの試験を提案した――お茶にミルクを注いだときと、ミルクにお茶を注いだときとで、味を比べてみようではないかと。
(『代替医療のトリック』p194)
で、盲検をするわけですが、その女性は見事にお茶にミルクを注いだものと、ミルクにお茶を注いだものを言い当てる。
実際、この二つの作り方でミルクティーの味が変わるのには、立派な科学的根拠がある。お茶にミルクを注ぐと味が落ちるのだが、それはミルクの温度が急激に上がりすぎて、ミルクの含まれるタンパク質が変質してしまうからだ(変質したタンパク質は酸味を帯びる)。
(『代替医療のトリック』p194-195)
ちなみに、ネットで探してみるとHow to make a perfect Cup of Teaという記事が英国王立化学会から出てて、そこにも
Pour milk into the cup FIRST, followed by the tea, aiming to achieve a color that is rich and attractive.
とあります。
というわけで、やっぱり論争は終わったのではないでしょうか。
ついでに、母乳と乳児の腸内細菌の話
ついでなので、『食物心理学――価値観と欲求の科学』の腸内細菌にまつわるところを読んで、気になったところを。
母乳栄養児の場合、ビタミンK2を合成できないビフィズス菌が全体の99.2%も占めているが、人工栄養児の場合、19.1%に過ぎず、ビタミンK2産生菌であるBacteroidaceaeが27.6%、E.coliが24.4%と多くなっていることがわかる。
(p246-7)
だから、母乳栄養児でビタミンK不足の頭蓋内出血が見られる、という話。母乳栄養児でビタミンK欠乏のリスクがあるというのは別に教科書に載っている話なのでなんてことないのですが、『人間は料理する』の次の記述からイメージされるものとは、若干の相違があります。
母乳そのものにも細菌が含まれていて、それらは乳児の腸内に細菌のコロニーを育てる役目を果たしている。しかし、母乳の果たす最も重要な役目は、腸内細菌叢を「良い」細菌が支配するよう導くことだろう。長い間、栄養学者たちは母乳に含まれるオリゴ糖という複雑な炭水化物の存在に当惑させられてきた。これを分解するための酵素を、乳児は持っていないのだ。進化的に見れば、母乳に含まれるものはすべて、乳児の発育に役立つはずであり、そうでなければ、母親の貴重な資源の無駄遣いとして自然淘汰によって修正されているはずだ。
(『人間は料理をする』下巻 p153)
研究の結果、オリゴ糖は、乳児ではなく、乳児の腸管に棲む細菌のためだということがわかった。有益な細菌、特にビフィドバクテリウム・インファンティスが、無益な細菌に先駆けて増殖し、腸内に定着するのをオリゴ糖は助けていたのだ。
(同上)
なんか、世界は最善だみたいな話ですけど、そうは言っても、このオリゴ糖によって引き起こされることが、ビフィズス菌92.2%の腸内細菌叢で、その帰結が、ビタミンK2不足なのでしょう?
歴史的に、ビタミンK欠乏のリスクは低かったのか、またはビタミンK欠乏になるかもしれないとしても、ビフィズス菌が優位になることのベネフィットのほうが大きかったのか。乳児死亡率が低くなったのなんて最近のことでしょうから、高かった乳児死亡率のなかでビタミンK欠乏によるものなんて、とるにたらなかったのかもしれません。
乳児ビタミンK2欠乏性出血症の発症は母乳栄養児に多い特徴があり、全体の85.6%を占めている。混合栄養児と人工栄養児における発症は、それぞれ5.4%と5.1%である。
(『食物心理学』p246)
とあるから、まあ混合栄養にすればよろしいのでしょうし、ましてビタミンK2製剤があるのだから、現代においてそれほど心配することはないのでしょうけど。
腸内細菌の話
- 作者: マイケル・ポーラン,野中香方子
- 出版社/メーカー: エヌティティ出版
- 発売日: 2014/03/13
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログを見る
以前から細々と読んでいる『人間は料理をする』の下巻には発酵を扱う章があって、そこにはこのように書かれているのでした。
近年、ブリティッシュコロンビア州のビクトリア大学のジャン=ヘンドリック・ヘヘマンが行った研究により、日本人の腸に一般的に見られる細菌、バクテロイデス・プレビウスは、海藻を消化する珍しい酵素を作り出すことがわかった。それは、ほかの地域の人の腸内細菌には見られない形質である。研究者たちは、この酵素をコードする遺伝子は、海中で海藻を食べている細菌――ゾベリア・ガラクタニボランス――由来であることを明らかにした。
(『人間は料理をする』下巻 p148)
この前にある、空気――パン――を扱う章でも、
発酵種にまつわる謎のひとつは、そこに棲む微生物が(パンの発酵で重要なはたらきをする乳酸菌、ラクトバチルス・サンフランシセンシスも含め)ほかのどこにも見つからず、どこから来たのかわからないことだ。
(同 p16)
と、菌が極めてニッチな環境に適応していることを書いているのですが、そうですが、日本人の腸内にはよく見られるけど、その他の地域の人の腸内には見られない細菌もいるのですか*1。
で、これを読んで思い出したのが、ニューギニアのパプア族の話。
ニューギニア高地に住むパプア族は、ふだん食事の96.4%はサツマイモを食べており肉類はほとんど食べてない。従って、いつもタンパク質欠乏の状態であると予測されるにも拘わらず健康状態は良好で筋骨隆々としているといわれる。
日本人による最近の栄養調査によると、彼らは毎日平均して約2gの窒素相当のタンパク質(10〜15g)を摂取しているに過ぎないが、糞と尿から排泄される窒素量はこの2倍になっている。このことから、腸内細菌によるタンパク質合成が行われていると推定され、KlebsiellaやEnterobacterが窒素固定菌として分離された。
(『食物心理学――価値観と欲求の科学』p249)
パプアニューギニア高地人は一日4.5gのたんぱく質しか摂取しないのに日本人と体格が変わらないという。この人々の腸内細菌には、日本人などの通常の人においては排泄してしまう窒素化合物をアミノ酸に資化する菌、ユウバクテリウム(バクテロイデス)が多く、低たんぱく質で体内たんぱくが欠乏しないようになっている。
(同 p291)
摂取たんぱく量に違いはあるのですが、おそらく同じことを言っているのでしょう。これを読んだときにはそんな都合のいい話があるかいと思って、249ページの続きの文章にある、
これら腸内細菌が空中窒素を固定してタンパク質を合成している可能性が強くなったが、一方で彼らは昆虫類を隠れて摂取しているという観察もあり、摂取窒素量の見逃しも疑われているので、今後確固とした証明がなされるべきである。
こちらの可能性が高いのではないか、みんながみんな昆虫を食べるんだけど、でも食べる時は誰にも見られないように食べる、っていう絵は面白いなあと思ったものでした。
でも、特定の地域の人のみに棲んでいる腸内細菌がいて、かつそれが、他の地域の人の腸内細菌には見られない形質も持っているとなると、ニューギニアのこの話もあり得るのかと、このように思ったのでした。確認は全然してないけど。
*1:「ほかの地域の人の腸内細菌には見られない形質」ってことは、日本人以外の人は、海藻を消化しないのでしょうか?
料理の効用
- 作者: マイケル・ポーラン,野中香方子
- 出版社/メーカー: エヌティティ出版
- 発売日: 2014/03/13
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログ (6件) を見る
(リチャード・ランガムは『火の賜物』*1のなかで)料理の発明こそが人類の方向を変えたと説く。料理によって栄養価が高まり消化しやすくなったものを食べるようになると、人類の脳は大きくなり、胃腸は小さくなった。生の食物は、咀嚼と消化により多くの時間とエネルギーを要するので、霊長類は、体のサイズは人類と同じでも、消化管が長く、咀嚼に多くに時間――日に六時間も――を費やす。
(『人間は料理をする』p7)
たとえば酵素栄養学では、野菜の生食を勧めたりします。酵素はもちろんたんぱく質なので*2、熱によって変性してしまう、それではせっかくの食物酵素が台無しだ! というわけで、生の野菜をたくさん食べなさいと勧めたりします。
そういった言説を、この文章によって一刀両断できないものかと思ったわけです。料理によって、食物に含まれる栄養の消化吸収率は高まる。それによって、脳はその大食らいのエネルギー必要量を満たすことは出来るのだし、またそれによって、多くの時間を食事に費やすなんてことはしなくてすむ。
つまるところ料理とは、外部のエネルギーを用いて、体に代わって咀嚼と消化を行うことだ。
(同上)
このような文化的環境によって人間の体ははじめて成り立つのだから、
大きな内臓の代わりに大きな脳を得た今、生食主義者がいくら望んでも、もう後戻りはできない。ランガムは、人間は生食だけでは健康を維持できないことを示すいくつかの研究を引用している。生食だけでは体重は維持できず、女性の半数は月経が止まる。生食の信奉者がジューサーやミキサーを多用するのは、そうしなければチンパンジーと同じように咀嚼に時間をかけなければならないからだ。
(p69)
というわけです。
しかし逆に、料理によって栄養の消化吸収率が高まるという事実こそが、マイケル・ポーランいうところの生食主義者に力となってしまうのかもしれないと、そのように思うのです。
つまり、現代社会は、先進国では特に、飢餓よりも栄養過剰が問題であるのです。ジューサーやミキサーを用いることで咀嚼の問題がある程度片づくのであれば、栄養の消化吸収率は高くなくても問題はない。だって、そもそも過剰にものを食べるのだから。
ニシキヘビの餌を、生の牛肉から焼いたハンバーグに変えると、「消化にかかるコスト」は二五パーセント近く減少し、ほかのことに使えるエネルギーがヘビには残された。また、マウスでは、加熱した肉を食べたもののほうが、同量の生肉を食べたものより成長が早かった。
(p71)
料理したものなんか食べていたら、過剰栄養に苦しむことになる。それなら、生の食物*3を食べていたほうが健康にいいのだ。という論法が成り立ってしまう気がするのです。消化にかかるコストをなるべく大きくして、エネルギーをそこで消費してしまいましょう。といって怪しげなスムージーを販売することだってできそうです。
調理された卵は九〇パーセントは消化されるが、生卵は六五パーセントしか消化されない。同様に、牛ステーキやパスタも、熱の通し方が少ないほど、消化されにくい。ダイエットしている人は注意されたし。
第1章の注5にはこのように記されているのですが、さて、なにに注意するのでしょう。料理することに、と言えてしまうのではないでしょうか。
まあこのように、人間は料理によって進化を成し遂げ料理に適応していったのだから、生食主義なんてナンセンス! と主張しようとの試みは、華麗に破れさったのでした。
まだ第一章までしか読み終わってないけど
上で取り上げたのは、「料理によって人は進化した」っていうリチャード・ランガムの説に関係するところがほとんどで、だったら『火の賜物』でも読めよ! って感じなのですが、しかし、焼く、煮る、などの料理の主要要素と言える技術を体現する料理や、その歴史、文化、人々に関する記述は大変おもしろく、また大変食欲をそそるよい本なのです。
人生も半ばを過ぎた頃、予想外の幸せな発見をした。ずっと心をふさいでいたいくつもの難問が、たったひとつの答えで解決するとわかったのだ。
その答えとは、料理である。
(p1)
若干言い過ぎですし、僕はこのような著者の立場を100%支持するわけではありませんが、得るものは多そうだと思っています。
注5に関連して
卵はアミノ酸スコア素晴らしいはずだし、教科書に載ってる消化吸収率って、三大栄養素に限ればたいてい問題にならないほど高い。
たとえば、白米の人間における消化率を見ると*4、
たんぱく質(%) | 脂質(%) | 糖質(%) | |
見かけの消化率 | 78.57 | 78.63 | 99.66 |
真の消化率 | 97.58 | 99.45 | - |
だし、消化吸収のよさそうな肉や豆についてなら、
たんぱく質(%) | 脂質(%) | 糖質(%) | |
肉・魚・貝類 | 90以上 | 70-80 | 90以上 |
豆類 | 70-80 | 60-75 | - |
なので*5、卵の消化吸収・利用効率はきっと素晴らしいに違いないと思っていたけど、生だとそうでもないのですね。考えてみれば、消化吸収率を調べるのに、生肉とか生の大豆とか食べさせる実験をすることはなさそうですしね。
消化吸収いいしー、たんぱく利用効率いいしー、なんて言って筋トレ後に卵かけご飯を食べるのであれば、目玉焼きご飯にしたほうがよさそうです。
ネフローゼ症候群の食事療法についての歴史
先日、久しぶりに開いた臨床栄養学のネフローゼ症候群のページには、このような記述があったのでした。
食事療法の原則はこれまで高タンパク、低塩分とされてきたが、平成9年(1997)の改訂で軽度のタンパク制限、減塩食に変わった。
(『新しい臨床栄養学』*1p157)
腎疾患にはたんぱく質制限が当たり前と思ったのですが、ネフローゼについてそうなったのは、それほど昔のことではないみたいです。でも考えてみれば、ネフローゼ=高たんぱく食というのも、意外な組み合わせではありません。
ネフローゼは、定義からして高度のたんぱく尿を伴います。本来は漏れださず、また、少量漏れたとしても再吸収されるはずのたんぱく質が、尿中に排泄されてしまう状態です。体内のたんぱく質がどんどん出て行ってしまうわけですから、その分補給しましょうという高たんぱく食が推奨されるのも、さもありなんと言うわけです。
では、なぜこれがたんぱく制限食に変わったのか。
学生時代の記憶で思い当たるものを拾いだせば、たんぱく代謝産物の尿素とかを上手く排泄できなくなって、体内に蓄積することを防ぐのではないか、と思い至るのですが、どうもそれだけではないようです。
高タンパク食は輸入細動脈を拡張して糸球体にかかる圧が高くなり(糸球体高血圧)、糸球体の傷害が進むことが判明して以来、タンパク質を制限する方向になった。
(同 p150-151)
高たんぱく食が糸球体の血圧を高くし、それが糸球体を痛める。だからたんぱく質を制限しましょうと、こういうことなのでした。
なるほど、勉強になった。で終わってもいいのですが、せっかくなので、高たんぱく食が勧められている文章が見てみたくて、ちょっと図書館をあさってみました。
まずは新しい本にどう書いてあるか。先の『新しい臨床栄養学(第4版)』は2005年出版ですので、それよりも新しいものを図書館で探してみました。見つけたのは、『臨床栄養医学』2009年出版*2です。
(ネフローゼの食事療法について)
a.蛋白質
いまだ適切な蛋白摂取量に関するコンセンサスはない。以前は低蛋白血症に対して肝での蛋白合成を期待して、高蛋白食が試みられた時代があった。しかし、蛋白質合成は増加するが、それ以上に腎での蛋白異化が生じるため効果は相殺される。そればかりか、高蛋白食は腎血行動態を抑制し、糸球体高血圧を惹起し、尿蛋白排泄量がさらに増加する可能性があり、現在では少なくとも高蛋白食はもちいられなくなった。現在ではむしろ低蛋白食により、尿蛋白が減少し、腎機能低下の進行が抑制される可能性が報告されているが、その有効性を否定する報告もある。
(p344)
ちょっと意外でした。2005年出版の本では、1997年のガイドラインで「タンパク制限となった」と書かれていたことに対して、2009年のこの本では、未だに適切なコンセンサスが得られてなく、「少なくとも高蛋白食は用いられなくなった」という、随分弱い書き方がされています。
ではそもそも、1997年のそのガイドラインにはどう書かれていたのでしょう。
ネフローゼ症候群に対しては、従来高蛋白食が推奨されてきた。しかし、保存期慢性腎不全に対してもし低蛋白食の立場をとるのであれば、ネフローゼ症候群を呈するような進行性の強い腎障害に対しては当然低蛋白食の立場をとるべきである。また多くの報告は、過剰な蛋白摂取が単に尿中蛋白排泄量を増加させるのみであることを示している。そこでネフローゼ症候群に関しては少なくとも高蛋白食の立場はとるべきではないと考え、「軽度の蛋白制限食」とすることにした。
(腎疾患患者の生活指導・食事療法に関するガイドライン(1997)*3 p19)
やはり、明らかな強い根拠があって「低蛋白食」としたわけではなさそうです。
ちなみに、「保存期慢性腎不全に対してもし低蛋白食の立場をとるのであれば」と、ネフローゼ症候群の低たんぱく食とする根拠となった保存期慢性腎不全の低たんぱく食は、「腎不全進行抑制効果」が期待できるというのがその理由みたいです。
次に、1997年のガイドラインが出来る前、1994年に出版された、『臨床栄養学』*4を見てみましょう。
ネフローゼ症候群では、大量のタンパク尿により排泄されるタンパク質量を食事で補給する高タンパク質食を取り入れていたが、現在は摂取タンパク量を増加させると、肝におけるアルブミンの合成は増加するが、その増加合成分はすべて尿中に排泄され、尿タンパク量を増加させるだけで、逆にタンパク異化作用を亢進させる。低タンパク食の方が尿タンパクが減少し、血清アルブミン値の改善報告が多い。むしろ腎への負担を少なくする意味もあり慢性腎不全食を適応させる。
(p136)
ガイドライン作成の前ですが、すでに低たんぱく食を推奨しています。その根拠としても、「腎への負担を軽くする意味もあり慢性腎不全食を適応」という、当たり前ですが、ガイドラインと同じものです。違うのは、この書き方だとだいぶ根拠が強そうだと感じるくらいでしょうか。
ほぼ同じ年、1995年出版の『臨床栄養学ー食事療法の理論ー』*5でも、
ネフローゼ症候群に対する食事療法は近年大きく変わりつつある。これまでの治療食の考え方は、高度のたんぱく尿により低たんぱく血症をきたすことから、尿中に失ったたんぱく質を補い、低たんぱく血症を改善するためには高たんぱく質食にする必要があるとして、国際的にも永らく実施されてきた。しかし、近年、高たんぱく質食の効果に疑問がもたれ、かえって症状を憎悪させることが明らかとなり、高たんぱく質食が適用されなくなってきている。
(p167)
たんぱく質については、高たんぱく質食を適用すると尿たんぱくを増加させるばかりでなく、血清アルブミン値、血清総たんぱく値を低下させることが証明され、また、今まで考えられてきた以上に糸球体を傷害することも判明した。
(同上)
このように低たんぱく食が推奨されていて、しかも結構力強いです。
1989年出版の『臨床栄養学各論』*6では、さすがに様子が変わってきます。
腎臓病の最も特徴的な症状はタンパク尿であるといえる。高度の持続性なタンパク尿を生ずるネフローゼ症候群がその典型である。尿タンパク排泄が多量なときには、低タンパク血症となり、ネフローゼ浮腫が発生する。したがって、ネフローゼ症候群の食事は高タンパク食とするのが常道になっている。
(p101)
やっと出会えた高たんぱく推奨文! 単純に想像すれば、1980年代まではネフローゼ症候群の食事としては高たんぱく食が推奨されていて、でも1990年代に入ると少しずつ風向きが変わり、それが1997年のガイドラインでのたんぱく制限に結びついたと、こういう感じなのでしょうか。
ちなみに、1989年のこの本でも、腎不全の時は低たんぱく質を推奨しています。
腎不全の食事は低タンパク高エネルギー食である。
(p106)
なぜか。
腎不全の病体は記述のように血中窒素化合物の増加(高窒素血症)とさまざまな電解質異常を呈することから明らかなように、高タンパク質食は有害である。これに対して低タンパク質食は腎不全動物の成長、発育、腎機能、寿命等に好影響を与えることが観察されている。
(p109)
今までは、おそらくヒトについての、高たんぱく食が糸球体に与える悪影響が書かれていましたが、この本は低タンパク食の動物に与える好影響が書かれています。ヒトではなく動物についての観察結果であることが、誠に勝手ながら、時代を感じてしまいます。
蛇足、というか本文の大半がすでに蛇足なのだけど、低たんぱく→低リン食について
1989年出版の『臨床栄養学各論』では、今までの本では触れられていなかった流れについても書かれています。
臨床に用いられる低タンパク質食は、同時に低リン・低カリウム食でもある。低リン食であることは、実験的に腎機能の憎悪予防に有効なことが認められている。
(p110)
なぜか。
腎機能が障害されて、ビタミンDの活性化が出来ない→低Ca血症→パラソルモン増加→骨からのCa吸収増加、リンの尿細管からの再吸収増加となって、高リン血症と血中カルシウムの反応で、リン酸カルシウム結石が生じる*7。で、このリン酸カルシウムの異所性石灰化が腎臓に生じると、
腎機能は進行性に障害され腎不全は悪化する。
(p111)
と言います。
リン酸カルシウム結石が腎臓に生じると腎機能が悪化するというのは、高尿酸血症で尿酸結石が腎臓に生じると腎機能が悪化するというのを連想すれば頷けるので、ああ、なるほどと思うのですが、低たんぱく食が低リン食との関連で語られるのは正しいのでしょうか。
疑問に思って新しい本を見返してみると、『臨床栄養医学』に「腎疾患の病体と食事療法の基本」(p350)というのがあって、そこに
病態 | 食事療法 | 効果 |
高リン血症 | 蛋白質制限(0.6〜0.8/kg/日) | 血清リン低下 |
高リン血症 | リン制限(mg)(蛋白質g×15) | 血管石灰化抑制 |
というのがありました。
低たんぱく食→低リン食は、今でも通用している理論でした。
『和食;日本人の伝統的な食文化』から、気になったところを適当に。その1
すでに先日の日記でも引用しましたが、最近農水省の日本食文化テキストブック『和食;日本人の伝統的な食文化』なるものをちまちまと読んでおります。
事の次第
昨年末ごろに、和食がユネスコ無形文化遺産に登録されたというニュースがありまして、ちょっと調べたら、和食のガイドブックなるものが出ているという話を耳にしました。無形文化遺産になったことで、伝統食賛美の傾向がよりいっそう強まったらイヤだなあと思っていたのですが、ただ困っていてもしょうがない。公式のガイドブックは和食についてどう言っているんだと、このように興味を持ったのでした。
実際の公式ガイドブックは今読み進めている『和食;日本人の伝統的な食文化』とはまた別にあるのですが、「上記の「和食ガイドブック」をお読みになって興味を持たれた方はぜひ、ステップアップとしてこちらもお読みください」とあるし、kindleに簡単に持っていけたしで、こちらのほうを読んでいる次第なのです。
本当はしっかりすべて読んだ上で、まとめて一貫性のある形でなにがしか記すのがいいのでしょうが、そんな腰を据えた作業をするとなると敷居が高くて動けなくなりますので、とりあえず引っかかったところを一方的に羅列していこうと思うのでした。
「目次・前書き」から
まず、前提の「日本の食文化」とはなにかというところから始まります。
そもそも食文化とは、人間の食生活における文化的要素という意味ではなく、人類の食に関する一切の事象を含む概念である。こうした食文化は、自然の気候風土、社会的環境によって形成されるので、自ら地域的あるいは、民族的な文化的特徴をもつ。ここに日本特有の食文化が誕生する。
これ、実のところ大切な把握の仕方だと思っていて、この把握の仕方だと、よく言われるような「食文化の崩壊」なるものが生じる隙はない、と思うのです。
たとえばジャンクフードばかり食べるようになったところで、そのような食に関する事象が生じたわけで、それは「食文化の崩壊」ではなく「食文化の変遷」と言えると思うのです。「食文化」が崩壊してしまったら、「食に関する一切の事象」が崩壊するわけで、それは食べる行為がなくなるときにしか言えない言葉でしょう。
しかし食文化は生きものである。時々刻々、変容している。どの時点で押さえるのか、とてもむずかしい。また、概念化したからといってそれを守るべき規範であるとか原則であるとかいった主張をするつもりは毛頭ない。
本書はなるべくニュートラルな立場で執筆されてはいるが、全体の問題意識としては、「日本の食文化はかつてこのようなものであった」という客観的な叙述に終わらず、そのすぐれたところを今日に生かし、未来へつなげたいという研究会全員の思いが強くあることを、付け加えておきたい。
と、このようにまずは立場を明らかにしています。
でも、「守るべき規範であるとか原則であると」いった主張はしない、「なるべくニュートラルな立場で執筆されてはいる」と言いながら、「すぐれたところを今日に生かし、未来へつなげたい」とは、当たり前かもしれないけど、どこか規範めいたものを感じてしまいます。
「栄養面から見た日本的特質」から
テキストの順番だと、前書きの次は「日本の伝統的食文化としての和食」なのですが、好き勝手に読んでいますので、こちらに進みます。
日本型食生活とその誕生*1
しかし、日本人の平均寿命を世界一にまで延長するのにもっとも貢献したのは、「日本型食生活」と呼ばれる、この国の特徴的な食事様式である。この国の住民の平均的な食生活(=日本型食生活)を支えた食事、つまり日本食(和食)は、日本人になじみ深い食材を用いて整えられた、伝統的な主食、主菜、副菜がそろった食事のことである。生食、素材の味を生かした薄口の味付け、そして繊細な盛り付けの3点が日本食の特徴とされ、世界的にも評価が高い。
わたくしも栄養関係の仕事をしておりますので、食事が貢献したと言われるのは非常に心地よいですが、しかし踏みとどまらなければなりません。当然のように書いていますが、それは本当なのですかと。おそらく、日本人の食生活がそのような寿命延長をもたらしたひとつの要素であった、とは思うのですが、でもそれが「もっとも貢献した」かどうかはわからないんじゃないでしょうか。
さらに、
- 生食
- 素材の味を生かした薄口の味付け
- 繊細な盛り付け
を日本食の特徴として挙げていますが、そのお上品な料理は本当にこの国の住民の平均的な食事なのでしょうか。古くは魚を生食できる地域なんて限られていたのでは? 薄口の味付けって言いますが、塩分摂取量多いでしょう? 繊細な盛りつけは……まあ、アメリカンな盛りつけよりは平均的な主婦も繊細に盛り付けていたかもしれません。ソースはイメージだけですが。
上記の引用箇所を読むと、いかにも日本人は古くからこのような食事をしていた感じがしてしまいますが、違います。この「日本型食生活」の定着は、すぐにあとに記されるように、つい最近のことです。
1980年、農政審議会は内閣総理大臣(佐藤栄作)に対する答申「80年代の農政の基本方向」の第1章「日本型食生活の形成と定着ー食生活の将来像」の中で、欧米諸国と比較して優れたバランスを持つ日本の食生活を評価し、栄養学的な視点はもとより、総合的な食料自給率維持の観点からも(しかし、2008年現在、食料自給率はカロリーベースで約41%に低下した)、この「日本型食生活」を定着させる努力が必要であることを提言した。
このあと1983年の「食生活懇談会」の提言と、1990年の「日本型食生活指針検討会」による食行動指針を基にして、農水省は「日本型食生活」の維持・定着に努めたとあって、
この「日本型食生活」と呼ばれる食事パターンは、より正確には、1970(昭和45)〜1980(昭和55)年代の、この国の住民達にとってごく普通の、平均的な食事パターンを指していた。
とあります。
こう見ると、「日本型食生活」は日本の歴史上にほんの10年ばかり偶然に存在した食事内容でしかないと言えるんじゃないでしょうか*2。だからこそ、「定着」させる努力を必要とした。もちろんそれが栄養学的によろしいということでしたら、参考にもしますし、利用しようとも思いますが、しかしこれを「日本型です!」と大々的に言うのは、若干よりも少し大きいくらいの抵抗と、言ったときの弊害もあるんじゃないかとの懸念があるわけです*3。
さて、このような「日本型食生活」の誕生は、経済的な繁栄が背景にあります。本テキストによると、日本は、1950年代中盤から1970年代の前半まで高度経済成長を遂げていて、1968年にはGNPが資本主義国中第2位となったそうです。
この経済成長に伴って、国民のタンパク質摂取量、すなわち、肉類、鶏卵、牛乳・乳製品、魚介類の供給量、も急速に増加し、それに反比例するかのように、コメ・イモ類の消費量が1910年代の半分以下になった。この高度経済成長に至るまでの日本人の食生活、つまり日本型食生活は、動物性食品よりも植物性食品に依存することが多かった。……そのような時代や地域では、穀類と豆類が必要なタンパク質の主な供給源となっていたが、人々は慢性的な食料不足、栄養不足に悩まされることが少なくなかった。
以前は食料不足、栄養不足が問題であって、あまりいい食環境ではなかったのです。あと、魚介類も高度経済成長期に摂取量が増えている、というのも地味にポイントだと思います。
図録▽魚介類消費の長期推移によれば、1911年から1939年までで一番魚介類供給量(純食料)が多かったのは1935年で、1人1年あたり15.3kg。これが戦争で一旦下がった後、1950年に14.8kgとほぼ戦前の水準になって、以後も右肩上がりで1960年には27.8kg、1970年には31.6kgとなっています。
ちなみに、現在のところピークは2001年の40.2kgで、2011年はそこから下がって28.6kgになっています。ピーク時が2001年っていうのがまずイメージと違います。2001年って、食の欧米化が叫ばれて久しく、魚離れも進んでいそうな感じがしますが、でもピークなんですね。2011年はそこからわずか10年でだいぶ減少したのだなあと思います。
加齢に伴う嗜好の変化
この国の住民の場合、成長期には好んで肉食をするが、歳を重ねると淡泊な味の、植物性の食物を好むようになる傾向がある。……このような、加齢にともなう食嗜好の切り替わりが、現在でも、日本人の寿命延長に役立っている筈である。
歳を重ねると、というのがいくつくらいを指しているのかわかりませんし、歳をとってからも成長期と同じように食事をしていたらそれこそ問題です。したがって、この記述が間違っているとは言えません。
しかし、このようなステレオタイプは危険だと、栄養学の学校では言っていた記憶があります。つまり、もう俺も歳だから肉とか食べるのはよそうと、自ら食の嗜好を変化させることがあるそうなのですが、しかし、お年寄りで気にするのはまずは低栄養なので、肉や魚が食べられるなら食べたほうが、基本的にはいいと思うのです。
65歳くらいまでは、体重と脂肪重量は共に増加するが、70歳以降は逆に体重と除脂肪体重とは減少する。そのために、高齢者ではたんぱく質エネルギー栄養障害の有病率が増加する。
(『ネオエスカ応用栄養学』*4p157)
高齢者の嗜好は、長年にわたって培われたものであるので、一気にうす味に変えることは難しい。特に、減塩にしたために食欲を失うことの方が、少々の塩分の摂り過ぎよりも、高齢者にとっては重大なことである。
(同 p160)
血圧の話
ヒトの血圧は植物性タンパク質の摂取量と逆相関するので、植物性食品(つまり、植物性タンパク質と植物性油脂)の多い日本型食生活では、高血圧になりにくい。
なんか日本って高血圧多そうなイメージだったんですが、これでも他の先進諸国と比べれば少ないほうなんでしょうか。ちょっと意外、と思いつつ「高血圧と糖尿病の国際比較」を見ると、25歳以上の高血圧の人の割合は、世界平均で男性29.2%、女性24.8%のところ、日本は男性26.4%、女性16.7%となっていました。確かに少ないです*5。
高血圧はサハラ以南アフリカやロシアで特に多く、ヨーロッパのドイツやスウェーデンや中国でも世界平均を上回っている。日本は比較的すくない方である。
(「高血圧と糖尿病の国際比較」)
「正常」でない食生活について
各種の調査結果を見ると、家庭内の食行動、食生活スタイルも正常ではなくなってきた。……1日3食食べない食生活=“崩食”している人や、健康への影響や栄養効果を考慮しない、成り行きまかせの食生活=“放食”している割合も増加の一途をたどっている
「5つのコ食」とか、こういう言葉遊びでうまいこと言ってる感が好きじゃないからそう思うだけかもしれませんが、これは単に正常を定めてそこからの逸脱を批判しているだけじゃないでしょうか。1日3食食べない。いや、たぶん昔からそういう人もたくさんいたのでは? 「日本型食生活」の時代には少なかったかもしれないけど、それ以前の歴史を見れば。
沖縄の長寿について
(沖縄は男女とも長寿日本一であったが)2002年12月に公表された2000年時点における都道府県別平均寿命表では、女性は全国で1位の86.1歳であったが、男性の平均寿命は77.64歳(全国平均77.71歳)で全国26位に転落した。
これ、わたくしも最近「パン食が浸透したのは日本政府が米食低脳説を唱えたから、はデマ」という記事を見て見て知ったのですが、沖縄の男性の平均寿命は、確かに全国ランキングでは上位ではなくなってしまいましたが、でも平均寿命自体は延びているそうなのです。
孫引き*6で恐縮ですが、
しかし、実際には沖縄県男性の平均寿命は延びており、長野をはじめとする他県の寿命が大幅に伸びて相対的に沖縄のランキング順位が下がったことが、読者に「寿命が縮んだ」と誤解されたものである。
実際、厚労省の「都道府県別にみた平均寿命の推移 」を見ると、平成12年のデータで、沖縄の男性は平均寿命77.64歳で全国26位なのですが、そのあとの平成17年のデータでは、全国25位ではあるものの、78.64歳と、ちゃんと平均寿命が伸びています。
年 | 平均寿命 | 全国順位 |
昭和50年 | 72.15 | 10 |
昭和60年 | 76.34 | 1 |
平成7年 | 77.22 | 4 |
平成12年 | 77.64 | 26 |
平成17年 | 78.64 | 25 |
平成22年 | 79.40 | 30 |
一応このことは本文のすぐあとにも触れられるんですが、
2005年までの5年間でも寿命の伸び率は全国で最低であった。
ずいぶん否定的な文章です。でも平均寿命自体延びているのだから、「26ショック!」*7とショッキングに取り上げて、悪く言うことでもないように思います。
倹約遺伝子仮説について
食糧が十分供給される現代社会では、倹約遺伝子を持っていることが仇となって、肥満・過血糖・糖尿病になって、生き長らえることが次第に難しくなっている、と考えられる。
倹約遺伝子仮説に対する反論を最近目にしたので貼っておきましょう。
ゆっくり食べダイエット
ゆっくり食べる(一口食べるごとに、ナイフ・フォークを下ろしてひと休みする)と、1食あたり70kcal、1日で210kcal、食べる量が少なくなった、というのである。
ということは、ほぼ1ヶ月で1kg体重が減る計算。ダイエットするかたは試してみては?
以上
まとまりませんが、「目次・まえがき」と「栄養面から見た日本的特質」でした。予想外に頑張ってしまいましたが、たぶん次は、こんな密度にはならないでしょう。
*1:これ、別にテキストにある章立てではありません。こちらで書きやすいように内容をまとめただけです。
*2:始めから1970〜1980年の10年間を念頭においているから、和食の特徴に「生食」が出てきたような気がします。「日本型食生活」において、コールドチェーンは確立されているわけです。
*5:アメリカの、男性17.0%、女性14.2%という異常な低さが気になりますが。ひょっとして、薬で下げている人は入らないのでしょうか。と思ったら、注に「WHOデータでは降圧剤服用者かどうかを高血圧の判定に含めていないのに対しこの数字には基準以下の血圧に抑えられている降圧剤服用者を含むことによるものと考えられる。」って書いてあった。
*6:もとは「生活改良普及員の昭和20〜30年代の栄養指導の意義と功績」(荻原由紀)「農業および園芸」2013年12月号、だそうです。
*7:26位に転落したことを、俗に「26ショック」と呼ぶそうです。
マクガバン報告って!(農水省の日本食文化テキストによると!)
以前書いたように、マクガバン報告については少々の権威が来たところでゆるがないのですが、農水省さまの日本食文化テキストなるものを読んでいたところ、
その結果、アメリカ人の食生活に警鐘を鳴らしたのが1977年のアメリカ上院に提出された「マクガバン報告」である。このレポートには日本について何も書かれていないが、当時アメリカ人が直面していた食と健康の問題点から見て、日本の食文化がアメリカよりはるかにすぐれていると考えたのが、日本の食生活研究者たちであった。
(農林水産省『日本の伝統的食文化としての和食』)
と、このようにおっしゃっていました。
なんか、わざわざ「日本について何も書かれていないが」と記すところに、その手の情報を正そうとしたのかなとの若干の邪推をしてしまいます。
というわけで、マクガバン報告って「元禄時代サイコー!」と言っていないどころか、日本についてまったく触れてないんですよ奥様! 日本の食文化のほうがいいと考えたのは「日本の食生活研究者たち」ですからね!