肉の焼き目と肉汁について

肉汁は守られるか、どうなのか

ステーキに焼き目を付けるのは、肉汁を「封じ込める」ためだと思われがちだが、もし完全に封じ込めたら水分は出てこないし、ジュージューという音もしないから、これは俗説である。
(『ステーキ!』P98)*1

 この種のことを聞いたのは、実のところこれが3度目です。1度目は「肉汁は守られるか、そしてマギーキッチンサイエンスのすすめ」で、こちらで紹介されていた内容によれば、「焼き目を付けて肉汁封じ込める説」の提唱者はリービッヒで、彼の説はすぐに広まったものの、1930年代に行われた簡単な実験で間違いが証明された、といいます。

肉の表面に形成する皮が水を弾かないことは、多くの人が経験から知っている。鍋やオーブンの中、あるいはグリルの上で肉がジュージューと音を立て続けているのは、水分はしみ出して蒸発し続ける音である。
(『マギーキッチンサイエンス*2』p157)

 2度目は『フランス料理の「なぞ」を解く』*3で、こちらでも同様に、焼き目は肉汁の保持には役立たないと言います。

 肉を強火で焼きつけると、肉の表面に肉汁の流出を抑える膜のようなものができると料理人たちがよく言いますが、それは違います。その証拠に、肉を強火で焼いて白い皿に置いてみてください。まもなくして肉の下に肉汁がたまるのが見えるはずです。
(『フランス料理の「なぞ」を解く』p225)

 最初に読んだときは「なるほど、そりゃそうだ」と感心し、常識が科学であっさり否定されることに面白さを感じたわけですが、しかし2度目、3度目と読むに従い、「なるほど、そりゃそうだ」で引き下がるのはあまりに淡白ではないかと思うようになりました。

 なるほど、確かにフライパンの上で肉はジュージューと音を立てていますし、焼き上がったステーキを皿の上に置いておけば、お父さんの帰りを待つ間に肉の下には肉汁がたまるでしょう。それらは、焼き目をつけられた肉の表面が肉汁を通すことの、簡単な証拠ではあります。

 しかし問題は、焼き目をつけられた肉の表面が「完全に」水分を遮断するか、しないか、ではないでしょう。焼き目をつけられていない肉から肉汁が50出るところ25しか出なかったら、焼き目は肉汁を保持すると、十分に言えると思うのです。完全ではなく、透過する量が減ったのであれば、それでいいのです。フライパンで立てられているジュージューという音や、肉の下にたまる肉汁は、焼き目が完全には肉汁を保持しないことの有力な証拠ではありますが、焼き目をつけてない肉と比べてどうかという点については、何も語っていないのです。

ほかの本はどういっているか

 というわけで、マギーさんのおっしゃる、「焼き目を付けて肉汁封じ込める説」の間違いを証明した、簡単な実験の結果でもどこかに書いていないかとちょっと調べてみたのですが、これが見当たりません。どころか、手元にある『新版 調理と理論』*4には

はじめに強火で加熱すると、肉の表面のたんぱく質が凝固し、うまみ成分を含んだ肉汁の滲出を少なくすることができる。(p360)

と書いてあるし、図書館で見つけた『肉の科学』*5にも、ビーフステーキの焼きかたとして、

肉汁を逃さないように表面をまず強火で凝固させ、好みによってさらに加熱する。(P124)

と書いてある始末です。

 『キッチンサイエンス』には「今もプロの料理人でさえこれを信じる人が多い」と書いていますが、上に挙げた教科書的な本を書くプロの調理科学者でも、信じている人がいるわけです。ここまで来ると、間違いを証明したというその実験って本当にあったの? という疑問が頭をよぎるのです。

 しかしながら、世はネット社会です。家にいながら、論文検索などができてしまうのです。わからないことは、googleか、もしくはciniiで聞け。との習性を経験的に身につけてしまったわたくしは、今回もまたお手軽なネット利用で、役に立ちそうな論文を見つけたのでした。『牛肉の熱板焼き調理における最適加熱条件』というのがそれです。

「牛肉の熱板焼き調理における最適加熱条件」を読む

 この論文は、タイトルにあるように牛肉の熱板焼き調理における最適加熱条件を探るために、120, 160, 180, 200, 220℃と異なる温度の熱板で、途中裏返し、中心温度が55, 70, 85℃に達するまで牛肉を熱したときの厚さと重量の変化、表面の焼き色、硬さを測定し、そのあとなにやら難しい計算で最適加熱条件を結論しましたというものです。難しい計算は本当に難しそうなので、わたくしには全く歯が立たないのですが、今回はそんなことどうでもいいのです。牛肉の熱板焼き最適加熱条件なんてものは、それこそ『ステーキ!』の著者にでも耳打ちすればいいことであって、わたくしは今のところ必要としておりません。

 というわけで、今回わたくしの興味あるところだけに焦点を絞れば、それは表面の焼き色と、重量変化率の関係ということになります。加熱による重量変化は主に水分量の変化でしょうから、この両者を見比べることによって、強火によってついた焼き目で、水分量の減少が多少なりとも食い止められているのか、が見られるわけです。

焼き色について

 まずは、論文とは逆の順番になるのですが、焼き色についてから見ていきましょう。

 横軸が熱板温度、縦軸がG値で、ひとつの熱板温度につき、3つの棒グラフがあって、それらは中心温度別に左から、55, 70, 85℃のグラフです。G値とは、0〜255までの数値で濃淡を表していて、0に近いほど色が濃いことを示しているのだそうです。牛肉を焼いたときの適度な焼き色は、著者らが見たところ、45〜55であるとのことです。つまり、45〜55だと表面においしそうな焼き色ができて、それより大きければ表面の見た目が生焼けっぽい、小さければちょっと焼き過ぎなんじゃないこれ。となるわけです。

 グラフを見ると、表面の焼き色に大きく影響しているのは、熱板温度であることがわかります。中心温度の違いは、焼き色に大きな差をもたらしてはいません。最適とされる45〜55の間にあるのは、熱板温度160〜180℃で、200℃になると焼き過ぎ、逆に120℃だとほかと比べて数値がかなり大きく、色がついていないことが伺えます。

120℃では、焼き色がつかず条件として不適当であることがわかった。

 この結果は、ほかの本も補強してくれます。

 焼き色とは、つまるところメイラード反応の結果です。メイラード反応とは、なんて詳しく説明できる技量も知識もないのですが、簡単には糖とアミノ酸の反応で、その結果数々の副産物を生成します。この副産物の中に、パンや肉を焼いたときにできる焼き目、また香ばしい匂いなどをもたらす物質が含まれています。

 メイラード反応は、「高血糖からの動脈硬化」で見たように、常温でも進行するのですが、高温だとより早く進行します。

 火かげんをくふうしてメイラード反応をほどよく進ませ、望みどおりの風味を肉につけるのは、腕利きシェフの芸術ともいえるくらい高度な話になる。とはいえ、二つのポイントを押さえておけば役に立つだろう。ひとつは温度。メイラード反応はほぼ140℃以上で進むから、いい香りを出すには肉を高温で調理する。
(『料理のわざを科学する*6』p38)

料理に利用されるメイラード反応は、おおよそ310°F/154℃で顕著に表れることが多い(略)
(『Cooking for Geeks*7』p145)

 かたや140℃、かたや154℃と、若干の差異はあるのですが、しかし120℃ではうまく焼き色がつかないことを補強はしてくれます。

 つまりこの実験では、熱板温度120℃のものでは焼き目がつかず、焼き目がついたのは160℃以上のものだったと言えるでしょう。

重量変化

 さて、次は重量変化を見ていきましょう。

 横軸は同じように熱板温度で、それぞれ中心温度別に3つの棒グラフがあります。縦軸は重量変化率を示しています。これを見ると、先ほどの焼き目のグラフとは違い、重量変化率に大きな影響を示すのは熱板温度ではなく、中心温度であることがわかります。

 これに関して著者は、

 加熱終了時の試料の中心温度が高いほど有意に重量変化率が高くなった。これは、加熱終了時の試料中心温度が高いほど加熱時間が長くなるためである。

としています。

 同様に、特に中心温度70℃を比較すると、熱板温度120℃のほうが160℃よりも重量変化率が高かったことについても、加熱時間の長さを原因に求めています。

 ただ、わたくしはこれには別の理由もあるのではないかと思っていて、先ほど挙げた『新版 調理と理論』のなかに、加熱によって肉の保水性がどう変化するかのグラフがあるのです。そのグラフに付随した説明によれば、

加熱温度が40℃以上になると、50℃までは保水性の低下が著しくなり、50〜55℃では変化がなく、55℃以上になると再び保水性が減少する。80℃で肉の熱変性が完了するもののようである。(p351)

と書いてあります。

 120℃のほうが160℃よりも重量変化率が高かったことは、ひょっとしたら加熱時間に原因があるのかもしれませんが、中心温度が高いほど重量変化率が高かったことについては、加熱時間の長さよりも、肉のたんぱく質が変性したことによる保水性の減少のほうが、より大きく影響してるんじゃないでしょうか。熱板温度の違いによる多少の変動はあっても、中心温度別にほぼ同じような重量変化率を示していることについては、そのほうがうまく説明できそうに思うのです。

 同じ中心温度のものを比べると、中心温度85℃まで加熱したものについては、熱板温度による有意な違いはなかったそうです。ほかの中心温度のものについては、隣り合う熱板温度*8で有意差がないものもあったものの、「熱板温度間の分散分析の結果では危険度5%で有意差があり、熱板温度が高いほど重量変化率も高くなると考えられる」としています。

 確かに、熱板温度120℃を別にして、右肩上がりの傾向は見てとれると思います。

両者を合わせると

 ふたつの結果を合わせて見ると、どのようなことがいえるのでしょうか。

 焼き色の実験結果から、焼き目がついていないのは熱板温度120℃のものだけで、160℃以上のものについては焼き目がついていることがわかりました。では、120℃とほかのものとを比較して、120℃のもののほうが重量変化率が大きければ、それは160℃以上で焼いたものについた焼き目が、保水性を発揮した結果であると言えるのでしょうか。

 言える。と言いたいのはやまやまですが、先ほども見たように、そうではないと著者は言います。120℃のものが160℃のものと比較して重量変化率が大きくなったのは、加熱時間の長さに原因が求められています。このあたり、加熱時間を一定にした場合の変化を見る実験を調べてみないといけないのかもしれません。

 では著者の結論はと言えば、

160〜220℃の熱板温度によって変化するのは焼き色だけであり、厚さや重量変化率、硬さは加熱終了時の中心温度が同じであればほぼ一定であることが明らかになった。

って、あんたさっき危険度5%どーのこーので、160℃以上のものに関しては熱板温度が高いほうが重量変化率が高いって言っていたじゃん。とは思うものの、中心温度の違いによる重量変化率の違いに比較すれば、とるに足らないくらいの小さな差(せいぜい2, 3%でしょ)でしかないのですから、そう結論づけてしまうのもやむなし。なのでした。

 というわけで、長々見て来たあげくに言えることは、仮に熱板温度120℃と160℃の違いが焼き目の保水力だったとしても3%程度の違いなのだから、中心温度に気を配るのが現実的だよ。なんてゆるいことでしかないのでした。

ちなみに!

 著者によると初期温度4℃、厚さ20mmの牛肉をミディアムに焼き上げる最適加熱条件は、熱板温度170℃で4分20秒加熱し裏返し(このとき、中心温度45℃)、その後熱板温度190℃で3分20秒加熱(ここで中心温度70℃に)すること! だそうです。

 試してみてね!