脚気が想像以上に怖かった

 栄養士を養成する学校でも、また管理栄養士の参考書でも、栄養学史に軽く触れることがあるのですが、そこでは3人の日本人が登場します。栄養研究所を作った佐伯矩、食事によって脚気を予防した高木兼寛脚気を予防する成分オリザニン(=ビタミンB1)を発見した鈴木梅太郎の3人です。3人のうち2人は脚気ビタミンB1関連なので、両者にはなんとなく親しみを覚えることになるのです。

 さて、高木兼寛は海軍医だったらしく、軽く触れる栄養学史では、「海軍医の高木兼寛脚気の予防」程度の連想で覚えてしまいます。したがいまして、「江戸煩い」という言葉は聞いてはいたものの、脚気で苦しんでいたのは主に海軍さんなのかと思ってしまっていたのでした。

 しかしながら、先日チアミナーゼ関連を調べていて、手に取った資料のひとつ『ビタミン学2 水溶性ビタミン』*1に載っていた、脚気の死亡年次推移の表がすごかった。これを見ると、脚気がいかに恐ろしいものであったかがわかります。

年次 実数 人口10万対
明治35年 11,097 24.4人
40年 8,761 8.2
大正元年 4,744 9.2
5年 16,459 30.1
10年 22,633 40.4
12年 26,772 46.5
昭和元年 12,102 20.1
5年 15,407 24.1
10年 10,042 14.6
15年 7,179 10.0
22年 8,596 11.0
27年 2,439 2.8
39年 117 0.120
40年 92 0.090
45年 20 0.019
50年 10 0.009

 大正時代から昭和初期にかけては、毎年ほぼ万単位の人が亡くなっていて、ピークにあたる大正12年には、2万5千人以上の人が脚気によって命を落としています。栄養素の欠乏症で1万人以上、年によっては2万人も亡くなっているなんて、ちょっと想像できません*2

 「おじいちゃん、おばあちゃんが食べていたものを食べるのが食育」と、とある先生は仰っていたけれども、その食事、栄養失調のリスクは大丈夫なの?

話はそれるけど

 上でも記しましたが、授業等で軽く触れる栄養学史においては、各人の業績が本当に軽く触れられるだけなので、発見の詳しい状況などはまったく知りませんでした。今回書くにあたって、手元にあった『栄養学の歴史』*3脚気の項を読んでみたところ、次のような記述がありました。

(1882年の12月から普通の食料を積んでニュージーランドに向けて出向した軍艦龍驤では)272日の航海の後に376人の乗員のうち169名が脚気にかかりそのうち25人が死亡した。この原因を追及するために高木の要請に基づいて同じ航路および日程でふつうの食事にコムギミルク肉を追加して航海を行うことになり軍艦筑波は1884年2月に出発した。(略)287日の航海のあいだに乗員333人のうちで脚気にかかったのは14人で死者は出なかった。
(『栄養学の歴史』p62-63)

 当たり前のことなのかもしれませんが、しっかり対照実験を行っていて、このような明らかな結果があったことなのだなあと、感心したのでした。

*1:ビタミン学 (2)

*2:ちなみに、人口10万あたり40人以上って今だとどれくらいだろうかと調べてみると、死因の第6位「老衰」で41.4人、7位の「自殺」だと22.9人。(平成23年の人口動態統計より)

*3:栄養学の歴史 (KS医学・薬学専門書)