「食」は病んでいるか
「食」は病んでいるか―揺らぐ生存の条件 (ウェッジ選書―「地球学」シリーズ)
- 作者: 鷲田清一
- 出版社/メーカー: ウェッジ
- 発売日: 2003/05/01
- メディア: 単行本
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立ち読みした記憶からのみなので、この本のすべてについては語ることはできない。でも気にかかったところ四点だけ突っ込みたい。
「もったいない」は日本古来からの思想ではない
本書の対談中でどなたかが「江戸時代はトロは捨てていた」ということを仰っていた。当時は赤身のほうが「おいしい」とされていて、トロなんて脂のかたまり食べずに捨てていた。これは確か『美味の構造―なぜ「おいしい」のか (講談社選書メチエ)』あたりでも読んだことあるので、まあそうなんでしょう。
でもこれって、エコじゃない。ぜんぜん「もったいない」思想を体現していない。
昔の日本だって、それほど環境にやさしくはない。ただ規模が異なるだけで。
スイス人は赤身を食う
上のと関連してるんだけど、三國シェフが行った先のスイスでは、人びとは霜降りではなく赤身を好んでいて、「普通に歩かせていたら赤身になるんだ」「赤身のほうが味があっておいしい」「霜降りなんて病気の肉だ」という状況だったそうだ。文脈的には病気の肉を好む俺たちはおかしい、的な感じだったけど、それじゃああまりにも、西洋の方々が自然と食文化の融合はかれていて素晴らしいですね、になってしまう。向こうにだって、ちゃんとフォアグラという病気を食う文化があるじゃないか。いやスイスにあるかはわからないけど。
でも、昔の日本人は赤身を好んだのに、なぜ脂の味をおいしいと感じるように変化したのかは興味がある。むしろ、脂がおいしいというほうがわかりやすいから(脂は高エネルギーだからね。エネルギーになるものをおいしいと思うのはわかりやすい)、なぜ昔の日本人は脂の味を好まなかったか、だ。
SRSVは環境問題
河川の上流にSRSV(今のノロウィルス)保持者がいて、その人が排出したウィルスが河川を流れ海へ行き、そこで貝に蓄えられて人々が口にして発症。これは環境問題ではないか、昔はおそらく自然の過程で除去されていたのが、自然が破壊されてそのシステムがうまく働かなくなり、このような事例がおきたのではないかという指摘。
たぶん違う。昔は気にしなかっただけじゃないの。ノロウィルスって劇症になるのは少ないし、ちょっとおなか壊したくらいに思う人が多くて、ウィルスだって特定されてなかった。だから大問題にならなかっただけじゃないか。
江戸時代は平気だった
江戸時代は人の排泄物を畑にまいて肥料にし、それで育った野菜を食べてなんの問題も起きていなかった。という話。
これもおそらく違うんじゃないか。ただ単に、昔は寄生虫いるのが当たり前で、有機農法の食物連鎖の中で今まで寄生虫いなかった人が寄生虫に住み着かれたって、普通のことだったんじゃないか。あと、『疫病と世界史 上 (中公文庫 マ 10-1)』で指摘しているように、安定的な関係で深刻な事態にはそうそう至らなかっただけじゃないか。
その意味で、「ローカルに閉じていれば」という指摘は正しいのかもしれない。地理的に閉じていれば、寄生虫も食中毒の原因となる細菌ウィルスだってなじみのもので、重症には至らない。でも、食べ物だけその思想でローカルに閉じて、どれほどの効果があるんだろう。
人の移動とかもすべて制限して、ならわかるけど、そんな無茶さすがに言わないよね。