食事はちょっとよくすればいい

 「食育」はいいが、思わぬところで子どもの心を傷つける。小学5年の時だった。家庭科の朝ごはん調べの質問に「レタスとトマトのサラダ。ベーコンエッグとジャムトースト。牛乳も飲んできました。」と答えて先生に褒められた。
 うそばっかり。その朝は自分でよそった冷たいご飯にごま塩を掛けただけ。必要な栄養素を教えられても分かっても、どうにもできない家庭は昔も今もある。
朝日新聞 2009.11.27 声欄より)

と言って、食育冊子配る金あったら、余った給食を翌日必要な子ども達に分配して欲しい、と続きます。

 どうにもできない各家庭が、どのような事情でどうにもできないのかはわからないですけど、そういう家庭もあるだろうなとは思います。ただ、たとえばこの方のように、保護者が朝食を準備できずに自分で冷たいご飯をよそうような状況でも、納豆で食べるとか卵かけご飯にするとかすれば、ごま塩をかけて食べるよりも栄養的によくなるわけです。

 必要な栄養素がわかるというのは、そういうことなんじゃないでしょうか。なにも完璧なご飯を食べましょうじゃなくて、できる範囲でどうすれば少しよくなるのかを考え実行するのが、食育のひとつの要素なんだと思います。

 それが今もまったくできないとすれば、「必要な栄養素を教える」ことも十分に達成できていなくて、食育冊子の是非はさておき、食についての教育は不足していると言えるんじゃないでしょうか。