「シンボルとしてのスローフード」——または、食育とスローフード
- 作者: 原田信男,竹内由紀子,中村麻理,矢野敬一,江原絢子
- 出版社/メーカー: 青弓社
- 発売日: 2009/10/01
- メディア: 単行本
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パルテノン多摩で行われた講演をもとにした本だそうで、講演者ごとに五章に分かれてます。それぞれに素晴らしい内容なのですが、今回は第四章の「シンボルとしてのスローフード」を見てみましょう。
「シンボルとしてのスローフード」は、まあタイトルの通りスローフードを追っているものなのですが、「食育」との比較も行われています。相通じると思われている両者だけれども、実のところ根底ではまるで違うものであることがわかります。
たとえば、スローフードも食育の「地産地消」も、ともに地元の食材を重要視しているように見えます。しかし、スローフードは
- 食の多様性
- いい素材を提供する農家の保護
といった視点から地元食材を重視するのに対して、地産地消は
- 自給率アップ
- 安全性の確保
といった視点から地元食材を重視するのだといいます。
というのも、スローフードには3つのミッションがあって、その3つとは
- 生物多様性の保護
- 生産者と消費者を結ぶ
- 味覚教育
だそうです。
1番目の「生物多様性の保護」というのは、生物が多様であることすなわち食材が多様であることで、これによって食の画一化に反対しようというものです。2番目の「生産者と消費者を結ぶ」は、いい素材を提供する地域の零細農家と消費者を結びつけることによって、地域の零細農家を保護し、いい素材を守っていこうとするものです。3番目の「味覚教育」は、「おいしさ」を教育して「おいしさ」の基準を変更することで、食の多様性に寄与しようとするものです。
これら3つのミッションによって、スローフードはファストフードによる食の没個性化に対抗するとともに、ファストフードを代表とする現代で支配的な生活スタイルを変えていこうとするもの、なのだそうです*1。
これに対して、食育で登場する地産地消は、先ほども挙げたように「自給率のアップ」と「安全性の確保」を目的とするものだといいます。
現代の文脈で使われている「食育」が登場したのは*2、BSE問題以後であるといいます。BSEを契機として、アメリカでの消費者に情報を提供して選択は自己責任で、というリスクコミュニケーション運動を取り上げて、日本でも同様に、食のリスクを自ら判断できるような教育=食育が必要という議論が出たそうです。つまり、現代の食育の原点は、安全・安心の確保であったわけです。
と、その一方で、食育以前から自給率アップと健康増進を目的とした食生活指針が厚労省、農水省、文科省合同で示されていたのですが、これが食育に合流します。これによって、地産地消の目的に「自給率アップ」が加わるわけです。そのあとさらに文科省で行われていた「生きる力」の育成まで流れ込んできて、生産者と消費者の信頼関係をつくる目的であった生産体験に、感謝の念やら豊かな人間形成やらが押し込まれてきて、ああ、その結果が今の栄養から道徳までの「食育」となのですかと納得するに至ります*3。
このように、地産地消とスローフードでは、現れかたは同じでも目的はだいぶ異なっているようなのです。スローフードは食の快楽や生産者を守る地域主義から、食育の地産地消は安全性確保や自給率の向上から、それぞれ地域食材を重視している。スローフードでも地産地消が目的とする自給率の向上や安全性の確保は図れるのかもしれないけれど、それは結果がそうなっただけであって、思想信条は異なるのです。
自給率って大事でしょとか、地元食材だから安全ですとか言われると、いえあまりそうは思わないんですけどと答えますが、食べ物っておいしいほうがいいよねとか、際物好きでしょ、珍しい食べ物あったほうがいいじゃんと言われれば力強く頷くわたくしとしては、どうも地産地消ではなくスローフードとならお友だちになれるんじゃないかと思えてきました。今まではまったくもって近寄りがたかったけど。
というわけで、面白い本なのですよ。
本の中ではこのような両者の違いのほかに、両者のかかわり合い、あるいは両者それぞれの変遷などが書かれていて、大変面白い内容です。ほかの章も含めて、食育や伝統食などと口にする人、あるいはそれに批判的な人は、読んでみると得るものがあると思います。