感情的な食育と、ちょっとの小話

 とある研修会でお話をされたお偉いさんはその昔、まだうら若き時分には小学校に勤めていて、コーラは悪魔の水ですと子どもたちに教えていたそうです。その甲斐あってか、学校内だか学校の近くだかに自販機ができても子どもたちは誰も買わなかったし、どころか、コーラ業者が今日のティッシュ配りのごとくやって来て学校前で配っても、誰一人受け取らなかったそうです。

 かなり乱暴な教えで、少なくとも会場にいた2/3は苦笑していたと信じるのですが、しかしそれでも、教えを実行させることに関してこの乱暴さは効果的で、なおかつ理にかなっているとも思うのです。

 それと言いますのも、『リスクにあなたは騙される―「恐怖」を操る論理』によれば人の記憶は「実例規則」*1にしたがい、その実例規則の強度は、劇的な感情、特に恐怖によって増強するらしいのです。

扁桃体が一時的に放出を引き起こしたホルモンが記憶力を向上させるため、反応を引き起こした恐ろしい体験は生々しく刻み込まれ記憶されることになる。そのようなトラウマとなるような記憶は長続きし、(略)恐ろしいほど簡単に思い出されるだろう。
(『リスクにあなたは騙される』p77)

 悪魔の水という乱暴なレッテルは、子どもたちに恐怖の感情を引き起こさせ、それによって強烈な記憶を植えつけることになるんじゃないでしょうか。

 また「効果的な栄養教育教材とは—感情に訴えかける戦略」*2でも、事実をただ伝達するだけではなかなか人の行動を変化させることには結びつかないが、感情に訴えることで、より多くの人の行動を変化させることができるとしています。

人間は感情の動物であり、感情は事実よりも重要であること、感情に訴えかけ、事実を伝えるとともに、その行動をとることの感情的な有益性が強調されるとき、行動変容が起こりやすくなることが分かった。
(「効果的な栄養教育教材とは—感情に訴えかける戦略」)

 したがってこの話をされたお偉いさんは、さすがにお偉いさんらしく、若かりし時分からしっかりと理にかなった方法でもって、自らの信じる内容を子供たちに伝え、実践させることに成功していたと言えるのです。

長椅子に寝そべってテレビを見る方がトレッドミルの上で汗をかくよりずっと楽しい。タバコは心地よい気分にさせ、これまでどんな害も与えていない。マクドナルドの看板の黄金アーチは、子供時代の楽しい思い出と例の赤毛のピエロを呼び起こす。だから「腹」は判断する。「この中のどれにも心配することはない。くつろいでもう少しテレビを見るといい」
(『リスクにあなたは騙される』p371)

 コーラを見ると、小学校のときに先生が悪魔の水だと言っていたことを思い出す。だから危ない、コーラを飲むのはよそう。というわけです。

 感情を狙った食育活動は、やがてファストフードを食の崩壊の元凶だと目の敵にする、行き過ぎた武装栄養士を生むかもしれません。彼らはその思想を実現するため、今日は3歳になった楓ちゃんのお誕生日会よ、なんて具合にお友だちやその母親と一緒になって店内でパーティーセットなどを囲んでいるところに乱入します。まだご注文をいただいていませんと静止する店員、コートの中から出てくる銃、あがる悲鳴、割れる窓、舞い上がったパテにあたる銃弾、壁を汚す玉ねぎひき肉、テーブルの下に身を屈めれば目の前にぽとっと落ちるピクルス、静まり返る店内、音を立てるははじける炭酸。的な反ファストフード運動を展開するのです。

 こうすれば、黄金アーチは幼き日の怖い記憶と結びつく。もう誰も、ドナルドには会いにいかない。メタボは減り、家庭で作って家族で食べる、健康的な食事が増える。彼らはそのように、顔にモザイクをかけたまま、変に甲高くなった声でテレビインタビューに答えるのでした。

 ただ、そのような食育は、食育とはいえ犯罪です。

 若干の脱線を挟みましたが、感情は効果的なのだろうけど、感情を狙うあまり事実のほうがないがしろにされないといいなあ。なんて危惧を少しばかり抱いているのでした。

*1:容易に思い出せるもの

*2:栄養学雑誌 vol.66 No3 153-157