そういえば、鎌形赤血球で出てきたペントースリン酸回路

 そういえば以前読んだ本に『辛いもの好きにはわけがある 美食の進化論』というのがあって、そのなかでどうもペントースリン酸回路に関係するような記述があった気がしたので、再び図書館で借りてみました。

 確かに記述はありまして、それは第三章の「ソラマメとマラリアのふしぎな関係」というところ。

 朝鮮戦争で出兵することになったアメリカ軍兵士に抗マラリヤ薬のプリマキンを投与したところ、アフリカ系アメリカ人兵士数人がなくなり、同時に北アフリカ、中東、地中海沿岸出身の兵士の10〜15%が急性の溶血性貧血を発生したそうです。その原因を調査したところ、

プリマキンに感受性のあるアフリカ系アメリカ人のうち四人の赤血球には、グルタチオン還元酵素の遺伝的欠損があったことを確認した。
(『辛いもの好きにはわけがある』 p93)

だそうです。

 グルタチオン還元酵素。先日のペントースリン酸回路のお勉強を振り返ると、NADPHは酸化型グルタチオンを還元するのに必要だと書いてあります。元ネタのハーパーさま(『イラストレイテッド ハーパー・生化学 原書27版』)に戻れば、

 赤血球では、ペントースリン酸経路は、酸化型グルタチオンを還元するためにNADPHを供給する。この反応は、FADを含むフラビンタンパク質であるグルタチオンレダクターゼによって触媒される。
(『ハーパー生化学』p198-199)

という*1ので、前述のグルタチオン還元酵素に遺伝的欠損のある四人のアフリカ系アメリカ人は、酵素の欠如から酸化型グルタチオンを還元できない、ということになります。すると、どうなるのか。還元型グルタチオンが欠如して過酸化水素を分解・除去できなくなり、結果、過酸化水素の蓄積 → 細胞膜にダメージ → 溶血を引き起こす、ということになります。

『辛いもの好きにはわけがある』をもう1,2ページも進めば、グルタチオン還元酵素の遺伝的欠損だったはずが、いつの間にかグルコース 6-リン酸デヒドロゲナーゼ(G6PD)の遺伝的欠損の話になっていて少々面食らうのですが、ではG6PDはなにかといえば、ペントースリン酸回路の第一反応に関係する酵素です。

 ペントースリン酸回路の第一反応は、グルコース 6-リン酸がリブロース 5-リン酸になるまでの反応で、NADPHを産生します。この反応をもう少し詳しく書けば

という風になるらしいんですが、G6PDはこのうちの最初の反応を触媒します。ペントースリン酸回路は、第二、第三反応は可逆的ですが、第一反応は不可逆的で、この第一反応でのみNADPHが産生されます。つまり、G6PDの遺伝的欠損があるとNADPHの産生が上手く行かず、酸化型グルタチオンを還元できない → 還元型グルタチオンの欠如 → 以下略という、グルタチオン還元酵素の欠損と同じようなことになるわけです。

 ちなみに、なんで鎌形赤血球がマラリアに強いのかと言えば、

鎌形赤血球化した突然変異体は細胞を毛状に崩壊させるので、そのとき細胞から酸素が除去されるため、マラリア原虫が繁殖してほかの細胞へ広がっていくのを防ぐ。
(『辛いもの好きにはわけがある』p91)

のだそうで、溶血して酸素を奪うというのが重要な役割を持っているようです。ペントースリン酸回路は溶血しないための還元型グルタチオンを提供する経路ですから、関係しているのも頷けます。

蛇足ながら、この本結構面白いんです。

『辛いもの好きにはわけがある』は、文化と生体の共進化というのがテーマになっています。たとえば、プリマキンがもたらしたのと同じ作用をソラマメがもたらして、G6PD欠損者をひどいソラマメ中毒で困らせたりする*2んですが、

(栄養人類学者の)カッツはソラマメを収穫し消費する時季を、地中海沿岸のそれぞれの国や島ごとに観察していった。そして、その時季が、蚊が繁殖する季節の始まりと、マラリアにさらされる確率が上昇する季節とおなじであることに気づいた。
 カッツは、ふたつの興味をそそる疑問を呈した。マラリアにさらされる人間によるソラマメの消費が、G6PDが欠損している人々の自然選択の引き金をひくこともありえただろうか? つまり、ソラマメの消費は、最終的に地中海沿岸の民族のあいだに遺伝的適応としてあらわれたものに(マラリア原虫が利用する酸素を減少させるという点で)文化的に相当するものなのだろうか?
(『辛いもの好きにはわけがある』p109)

というように、ひょっとしたら、ソラマメをその時季に食するという文化が、マラリアに対抗する効果と機能を持っていたのではないかというんです。

 このように大変面白い本ですので、ぜひご一読を。*3

*1:レダクターゼは還元酵素の意。

*2:マラリアの蔓延する地域のひとつであるサルディーニャ島の人々は)「ソラマメを食べたり、ソラマメの花粉を吸引するだけで、プリマキンが誘発したのと同じ溶血性性貧血が起こる」(『辛いもの好きにはわけがある』p106)

*3:と言いつつ、僕はこの「共進化」がいまいち理解できてない。