ケトン体がわからなくなった
先日取り上げた『「食育」批判序説』*1のなかで、著者はガイトン『人体生理学』*2から引用して、体内で糖が不足した際には
脳で使われるエネルギーの約2/3はこれらケトン体、主としてβ−ハイドロキシプチレートに由来する。[ガイトン 1982:844]
(『「食育」批判序説』p30)
と、脳が必要とするエネルギーの約70%をケトン体でまかなうとおっしゃいました。
脳はそのエネルギー要求性の約20%をケトン体でまかなうことができるが、残りはグルコースから得なくてはならない。
(『イラストレイテッド ハーパー・生化学 原書27版』p154)
と、ケトン体で補えるのは、脳の必要とするエネルギーの約20%とあります。
両者の違いは70%〜20%とかなり大きく、ハーパー様に多少なりとも親しんでいたわたくしは、ガイトンにあるというその記述にかなりの混乱を覚えたのでした。
さて、このように違いがあれば、一体どちらが正しいのだろうと疑問をもつのは当然です。そこで、近くの図書館におもむいて、それらしき生理学の教科書を漁ってみました。
ほかの教科書も調べてみる
あたってみたのは以下の5つです。
ガイトン生理学もあたったのは、これ2010年の新しいものなんですね。『「食育」批判序説』で著者が引用していたのは、1982年の古いやつです。ハーパー様は2007年。両者にある違いは、ひょっとしたらこの30年ばかりに蓄積されたケトン体研究の成果なのではないか。ハーパー様に肩入れをしつつ、このように考えたのです。
しかしながら、上に挙げた本のほとんどで、わたくしの要求を満たした記述はありませんでした*9。もちろんすべての本でケトン体は載っているのですが、ケトーシスやケトアシドーシスとの関連で載っているのがほとんどで、飢餓時のエネルギー源としてどの程度期待ができるのかなどに関しては、あまり関心が払われていません。
そんな中、ガイトンの生理学には相変わらずきちんと載っていました。残念ながら、わたくしの希望に沿う形ではありません。
高脂肪食への適用:ゆっくりと炭水化物食からほとんど完全な脂肪食へと変換した場合、人体は、通常よりはるかに多くのアセト酢酸を使用するように適応し、この場合、ケトーシスは通常起こらない。(略)2,3週間後には、通常ほとんどすべてのエネルギーをグルコースから得ている脳細胞ですら、その50〜75%のエネルギーを脂肪から得られるようになる。
(『ガイトン生理学』p890)
「ゆっくりと炭水化物食からほとんど完全な脂肪食へと変換した場合」なので、単純に飢餓が訪れた時にこの反応が現れるかはわかりませんけれども、やはり脳のエネルギーの50〜75%はケトン体でまかなうと言っています。
ガイトン以外では、ギャノングの生理学に若干の記載が見られるくらいでしょうか。ただしこちらは、イヌの場合です。
これら血中のケトン体は飢餓時の重要なエネルギー源となる。正常イヌを絶食させた時、代謝率の半分はケトン体の代謝によるものであるといわれる。
(『ギャノング生理学』p381)
脳のエネルギーの、ではなくて、体全体のエネルギー代謝の約半分ですから、こちらの記述ではガイトン生理学の記述よりも、だいぶ控えめになっています*10。
結局よくわからない
以上のように、生理学であまり関心がない分野なのか、または探し方が悪かったのか、わたくしの知りたかったことそのままが載っている教科書は少なく、載っていたとしても共通の答えを指し示してはいないのでした。
はじめに戻ってハーパー様を再び紐解けば、
ケトン体は、骨格筋と心筋の主要な代謝エネルギー源であり、脳のエネルギーの必要性を部分的に満たす。長期の絶食では、グルコース代謝は体全体のエネルギー生産のための代謝の10%未満となる。(『イラストレイテッド ハーパー・生化学 原書27版』p157)
という記述もありました。
確か脳はかなりの大食漢で、体全体のエネルギーの20%くらいは平らげるとあった気がします*11。グルコース代謝で10%ということは、脳のエネルギーの半分くらいしかまかなえていないんじゃないでしょうか。
んじゃあガイトンさん正しいの? という気にもなるけれども、なら「脳はそのエネルギー要求の約20%をケトン体でまかなうことができる」っていう記述はなんなんだいとも思います。
結局のところ、一度はハーパー様の記述でわかった気になったケトン体が、再びわからなくなってしまったのでした。
ガイトンさんは読みやすそう
どうでもいいのですが、『ガイトン生理学』は、イラストも豊富で言葉もわかりやすく、大変読みやすそうだと思います。ほかの生理学の教科書*12ではあまり扱っていない、栄養学とクロスする分野にも比較的多くのページを割いています。
なかなかよい本なのだろうと思いました。すっごい高いけど。
追記(2012.01.10)
コメント欄でご指摘いただいたとおり、リッピンコットの生化学には、わたくしの要望にぴったりの記述と図があったのでした*13。そちらによれば、絶食後数日では、脳のエネルギー源はグルコースのみだけれども、2,3週間もすれば血中ケトン体が上昇し、主なエネルギー源として利用されるとのこと。
図では5〜6週間の飢餓状態における脳のエネルギー源が示されているのですが、目算で、グルコースはだいたい20%。3-ヒドロキシブチル酸(=3-ヒドロキシ酪酸。ケトン体のひとつ)で60%くらい、アセト酢酸(これもケトン体)で10%、アミノ酸で10%とあります。
なんか胡散臭い本*14だし、これも本当は違うんじゃない? と思って調べてみた飢餓時のケトン体利用率だったのですが、どうやらガイトンさん有力みたい。
*1:「食育」批判序説――「朝ごはん」運動の虚妄をこえて、科学的食・生活教育へ
*2:ガイトン人体生理学 下 第2版―正常機能と疾患のメカニズム
*9:ちなみに、手元にある『リッピンコット イラストレイテッド生化学 原書4版』(asin:4621080237)にも、飢餓時にどの程度のエネルギーをまかなうかに関する記述はありません。記述ありとのご指摘をコメント欄でいただきました。確認するとご指摘のとおり、しっかり書いてありました。ごめんなさい。
*10:イヌの場合だけどね!
*11:でもどこか信頼のおけるところで得た情報だったか覚えていないので、あまり真に受けないほうがいいかもしれません。
*12:といっても、流し読みしたほか4つについてしか知らないけど。
*13:というわけなので、ほかの「記述なし」だと思った本に関しても、ただ単に見落としていただけかもしれません。ご利用の際はご自身でご確認をお願いします。
*14:ガイトンの生理学が、ではなくね。