ヨーロッパの昔の食——ヨーロッパにも肉の食えない時分がありました

 今日の日本の食について欧米化していると言われますが、日本の食が変動しているのと同様に、欧米諸国の食だって固定化された静的なものではなく、時代時代によって大きく揺れ動いているのです。現在のような肉食とイメージされるヨーロッパの食はそれほど古いものではなく、19世紀に入ってからの比較的新しい変化によって出来上がったものだと言います。

 著者はまず、鯖田豊之の『肉食の思想』(asin:4121000927)から、ヨーロッパの農業は穀物生産と牧畜の融合であるとの指摘を引っ張ってきます。ヨーロッパでは主に麦が生産されるわけですが、この麦には連作障害がつきものなので、休耕地を設ける必要が出てきます。その休耕地で牧畜を行う、幸い、気候的に牧草も育ちやすく牧畜には適している。このように、穀物の生産と牧畜がセットになっているのが、ヨーロッパの農業だというわけです。

 また、穀物生産と牧畜の間でどのような位置に落ち着くかは時代によって違うのですが、これは人口の多少によって定まるのだと言います。単位面積あたりの人口扶養率は、牧畜よりも穀物のほうが多い。また、穀物のほうが、牧畜よりも労働集約的である。以上のことから、人口の過密期においては穀物生産が優位となり、逆に人口が少ない期間は、牧畜が優位となる。

 したがって、必ずしも歴史を下れば下るほど豊かになり、肉食の比率が高くなるというわけではないらしいのです。

 中世の食糧事情は悪いもの*1でしたが、ペストの発生などで人口の激減した中世末期は、逆に人口の少なさが食料の豊かさと結びついて、牧畜優位、肉食優位であったと言います*2

 ところが16世紀にはいると、今度は人口増加から再び穀物生産優位になっていく。17世紀に一時的に人口停滞期を迎えて食糧事情が若干楽になったものの、18世紀に再び人口が増加して「飢饉の世紀」を迎えることになる。

 19世紀になると、技術革新やジャガイモの導入、品種改良等々から、食糧生産が向上する。また、輪作が導入されて休耕地が不要になり、生産量の増大した穀物を家畜にえさにすることで、「穀物生産と牧畜の分離」が起こる。これによって肉の生産量が増加し*3、19世紀中ごろから肉の消費量が増大し、今イメージされるような「ヨーロッパの食卓」になったのだそうです。

 紹介されているデータをみれば、肉の消費量はそれぞれ

  • イギリス
    • 1400−10年(農民):72kg/人/年(197g/day)
    • 1600−10年(住民平均):33kg/人/年(90g/day)
  • ドイツ
    • 1400−10年(住民平均):100kg/人/年(274g/day)
    • 1500−10年(農村住民):12kg/人/年(33g/day)
  • フランス
    • 1480年(ラングドッグ農村労働者):40kg/人/年(110g/day)
    • 1700−10年(ジェヴォーダン農村住民):2−10kg/人/年(5−27g/day)

となっています。

 必ずしも同じ地方、同じ階層の比較ではないことに注意が必要ですが、記述と年代が符合しない点はありながらも、時代の流れとともに肉食が増えてきたわけではなく、増減の波があって、なおかつそれほど多くの肉を食べていない時期もあったのだということはうかがえます。

 また、紹介されている別の研究によれば、ドイツにおける1日あたりの肉の消費量は、1800年ごろでは17g/day、1850年ごろでは22g/dayであったものが、1900年ごろには52g/dayと大きく上昇、以後第二次世界大戦後に減少しますが、戦後は再び増加(それも急上昇)を見せます。ヨーロッパ=肉食とのイメージがありますが、必ずしも一貫してたくさんの肉を食べていたわけではなく、最近では19世紀後半、あるいは20世紀に入ってから強固になった食生活であるようです。

 まあ、だからといって「ヨーロッパは肉食文化ではない」と言われれば、それは少し違うように思います。2007年の日本の食肉消費量が28.3kg/人/年(77g/day)*4ですから、日本との比較で見ればやはり昔から肉食ですし、あまり食べられていなかった頃があるといっても*5、それでも「肉を食する」という習慣はあって、肉を食べているわけです。

「魚を食する文化」といわれる日本にしたところで、たとえば大正7-11年の愛媛県農村部では

仮に交通の便がある程度よくて海が近くても、魚はそんなに食べられなかったというわけです。
(『食文化から社会がわかる! (青弓社ライブラリー)』p198)

仮に魚類を食べることができたとしても、調査から明らかになったのは「いりこ」や「いかなご」が多数で、要するにこれはだしとして使っているにすぎないわけです。魚焼きや煮魚といった魚料理のイメージとはほど遠い。
(同 p199)

といいますし、昭和9-13年の日本の魚介類摂取量は、平均でも24.7g/dayにすぎない*6わけです。ジェヴォーダンの多く見積もられたほうと大差ありません。

「ヨーロッパは昔から今日ほど大量に肉を食べていたわけではない」「肉食のウエイトが低いときもあった」としたところで、やはり日本との比較では肉を食べるし、肉を食べる習慣は昔からあったと言えるでしょう。ただ、「肉食文化」と言うと*7、文化を規定したり固定したりすることに繋がるので、注意が必要だとは思います。

 実際、「日本は伝統的に米食で」と言われると、なんかほかの雑穀やら芋食やら、はたまた肉食やらの存在を否定していそうな気がして、ついムキになってしまう僕がいるのです。

ぐだぐだ文章直していたら

 いや大切なのは、肉を食べるといわれるヨーロッパでも、あるいは魚を食べるといわれる日本でも、どちらにせよお互いに動物性たんぱく質の摂取量がものすごく少ない時代もあって、肉だろうが魚だろうがほとんど口に入らないことがあったんだよという、ものすごく単純なことなのかもしれない。

 どうも、

 一般に中世においては、ごく一部の特権層を除いて、祝祭のとき以外の日常の食事は、麦と野菜の「粥」といったきわめて単調活貧弱なものであった。肉は年に一度初冬に屠畜した豚の塩漬け肉以外には、ほとんど庶民の口に入らなかった。
(『ヨーロッパの舌はどう変わったか』p23)

との記述に従えば、それこそ大正期の愛媛の農村に見られるような「魚はそんなに食べられなかった」状態にそっくりで、これで「肉食」というのははばかられるなあと思うんだけど、出てくるデータではまあそれなりに食べられている*8から困ってしまう。

 昔のデータなんか限られているから、出てこないのが本当なんだろうけど。

どうでもいいけど、中世末期の摂取カロリーが5,000kcal以上って!

 そりゃ、今でも3,421kcal摂ってる*9、ちょっと日本人には考えられない高エネルギー摂取のお国だけれどもさ。オリンピックのときフェルプスが8,000kcal摂ってるって聞いて驚いたけど。いくら農業の機械化進んでいなくて重労働ったって、多すぎやしないかい?

*1:特権層を除けばほとんど麦と野菜のかゆを食べ、肉はほとんど口に入らない

*2:紹介されている研究によれば、食費の56%が動物性食品に費やされていた、とのこと。でもこれ、肉が高くてそうなったのか、それとも量をたくさん買うからそうなったのか、ふた通り考えられると思うんだけどどうなんだろう。

*3:その他、保存技術や流通の向上などから海外から肉が入ってくるようになった、というのもあって。

*4:平成19年度の食糧需給表より。ちなみに、1995年あたりからずっと横ばい。

*5:たとえば、1700-10年のジェヴォーダンの農村住民とか

*6:『日本型食生活の歴史』(asin:4787704044)をもとに、国民栄養調査からの計算値。http://d.hatena.ne.jp/kuiiji_harris/20090201/1233461447

*7:あるいは、日本を「魚を食する文化」や「稲作文化」と言うことも同様に

*8:30g/dayくらいあれば、二日か三日に一回はそれなりの肉が食べられているように思うし、であれば「肉を食べる文化だね」と言うのに、それほど心理的な抵抗がないんだよなあ。

*9:FAOのFood Balance Sheetsより、2005年の数値。