『食事の文明論』の読書メモ1

食事の文明論 (中公新書 (640))

食事の文明論 (中公新書 (640))

 まだ読み途中なのですが、序章で著者が書いているように、学術的な記述というよりはエッセイ的な感じであって、あるひとつの考えに対してしっかり論拠とデータが示してあってほらそうでしょ、というものではありません。

 そこで、この本は学問とか研究とかいった性質のものとして受けとられては困るのである。わたしの現時点における食に関する思想をあらわしたものとしか言いようがない性質のものである。資料を整理し、客観的な立場で記述する用意はとうていできていない問題なのである。(p5)

 出版も1982年と古いものですので、本書を読んでそのまま現在の事象に当てはめるというのは、無理があるでしょう。しかしそれでも、当時から現在に至るまで、言われていることは主食のことであったり、自給率のことであったりと、まああまり変わっていないのだなと感じる箇所は多分にありますし、現在のわたくしが読んでも非常に共感する部分も多い、面白い本だと思います。

おかず食いになった日本人

 この本を読み始めたのは、コメ消費減少現象にまつわる素晴らしい記事を読んだ直後だったのですが、主食が減ったことに関して同じような推察がなされていました。

 人体をエネルギー源とする肉体労働の必要がなくなれば、カロリー源としての飯の量は減るし、商品としての食品の流通が整備され、経済成長による購買力がつけば、蛋白源は肉や魚にもとめることになるということで、コメの消費量は減っていった。とはいうものの、それは栄養学的にあとからつけくわえた説明というべきもので、うまいオカズをたくさん食べることになれば、必然的に主食の量が減るということである。(p20)

(朝食は簡単にすませる食事が主流であるが、一方の晩食については)むかしの晩食にくらべて、オカズの種類も量も明らかに増加している。日本人はオカズ食いになったのである。胃袋の大きさは変わらないとしたら、食事に占めるオカズの量がふえただけ、米の量が減ったのも当然のことである。コメ離れしてパンにとってかわったというよりも、オカズが多くなったので、コメの消費が減った側面の方が大きいのではなかろうか。(p25)

 もちろん先に記したように、学術的な裏付けは手薄です。大阪近郊の都市部に居住するある家庭が昭和53年8月に食べた食事と、昭和15年8月の同じ日に、奈良女子師範学校のある生徒が奈良県の村で農家を営む実家に帰省した時の食事を対比させる表が唯一のものでしょうか。

  • 昭和53年 大阪近郊都市
    • 16日:野菜サラダ、鉄板焼き(牛肉、玉ねぎ、キャベツ、ピーマン)、漬物、冷そうめん
    • 17日:しめサバ、冷奴、ゆで豚(辛子味噌しょう油そえ)、ハムステーキ(トマトそえ)、野菜サラダ、ラーメン
    • 18日:ハモのおとし、煮つけ(マナガツオ)、鯉こく、冬瓜のあんかけ、味付けのり、たらこ、飯
    • 19日:たらこ、オクラ(花がつおをかける)、ナスの中華風和え物、牛肉の味噌漬け網焼き、野菜サラダ、味噌汁(じゃがいも)、漬物、飯
    • 20日:マグロの山かけ、フライ(ハモ、玉ねぎ)、ハンバーグ、野菜サラダ、飯

 ちょっとこの大阪近郊都市に住まうお方豪華すぎるんじゃないのと、平成23年に住まうわたくしは思うのですが、どちらのほうがおかずを食べているかは一目瞭然なのでした*1

 昭和15年という、戦争が迫った時期ということを考慮に入れなければいけないが、と著者は断っていますが、しかし過去の農村家庭の食生活のひとつの典型であろうとも言っています。昭和15年のこのご家庭は、こう言ってはなんですが、毎日ほとんど変わらないものを食べているんだなあとも感じます。普段の、いわゆるケの食事とはこういうものであったと著者は言います。

 (ハレの日は手間暇かかる「カワリモノ」を食べる日であったが)それにたいして、ふだん――ケ――の日は、いつも同じようなオカズを食べていたのである。第二次世界大戦前の農村の生活では、昨日と今日と同じ料理をつくることはごくあたりまえのことであった。(p28)

 それが現代*2では、昔ならハレの日に食べていたような「カワリモノ」を常食としている。

 現代の日本の家庭の日常の食卓は、オカズの品数を多くすることと、オカズの変化を求めること――おなじ料理がくりかえして供されるサイクルを長くして、昨日食べたものは今日は食べないという傾向をもつ。その結果、カワリモノを常に求めることになったのである。(p31)

 そのような具合におかず食いになり、胃袋の大きさも変わらないことだし、じゃあ主食少しでいいやとお米の消費が減ったのであろうと、これが著者の推測なのでした。

 別の箇所では大麦の消費量が減っていることにも言及していたし、いやそんなものをあの記事の直後に読むだなんて、これはシンクロニシティだねえとひどく驚いたのでした。

おふくろの味

 ケの食事についての部分で、おふくろの味について語っていた内容も面白い。

 昔の普段の食事は、先ほど見たように代わり映えのしない、「昨日食べた物を今日も食べる」食生活であったわけです。したがって、料理をつくるものはごく少数のレパートリーを繰り返し作ることになります。

そのかぎりにおいては、目をつぶっていても毎日同じ味の料理をつくることができた。そのような安定した味の料理が、現在老境にさしかかった男たちから郷愁をもって「おふくろの味」ともてはやされる。だが、「おふくろの味」はたまに食べるからよいのであって、過去の食事のように毎日おなじものを食べさせられたら、その単調さに音をあげてしまうにきまっている。(p28)

 毎日おなじものをつくっていて、毎日おなじものを食べていたからこその「おふくろの味」なんだよと、郷愁を破壊する強烈な指摘です。確かに、先程挙げたような「昭和15年の食事」を今毎日やられたら音を上げるに違いありません。

 しかしその一方で思うのは、昭和50年代の「現在老境にさしかかった男たち」の「おふくろの味」はそのような単調なものでも、平成23年の「現在老境にさしかかった男たち」は、多少のレパートリーをもって幼少期を過ごしているに違いない、ということです。その彼らも、おそらくは「おふくろの味」と言う。さらに、老境にさしかかっていない人にとっても、やはり「おふくろの味」は存在しているのではないか、と思います。昭和50〜60年代に幼少期を過ごしたわたくしにしても、別段郷愁をもってもてはやしはしませんが、なんとなく「おふくろの味」は存在しているように感じます。

 それはただ単に、子供の頃食べた家庭料理の味で、味覚形成に影響を受けたがゆえに感じる識別でしかなく、昔の人が強く感じた「おふくろの味」とは別なのかもしれません。それでも、微妙に位置を変えつつも、未来の大人たちも「おふくろの味」を言い続けるような気がします。

*1:あくまでn = 1

*2:といっても、出版された当時の現代だから、昭和50年代くらいね