「ニワトリ狩り」の悪影響

 豚を飼育して最後には食べる「いのちの授業」というのがあったけれども、実はそれには前身があったのかもしれません*1

「食べる」思想 ~人が食うもの・神が喰うもの

「食べる」思想 ~人が食うもの・神が喰うもの

 このなかに「鳥山敏子の「にわとりを殺して食べる授業」批判」というのがあります。それによれば、1980年に鳥山敏子先生は4年生とその保護者兄弟の希望者を対象に、もらって来たニワトリを河原に放し「ニワトリ狩り」を行う課外授業を行ったそうです。

 著者はもちろんタイトル通りその授業を批判していて、狩りとは文化の所産であるし、獲得した獲物の処理や調理もまた文化の所産である、ニワトリをただ河原に放して「ニワトリ狩り」をしてみたところで、それは実際に我々の祖先が行い、また鳥山敏子自身が体験させたかったような「狩猟」ではない、そのような文化から切り離されたものは単なるニワトリ殺しであって、それによる観念の押しつけでしかない、と言います*2

(狩りやと殺には高度が技術が必要であるが)そういう「技術」を無視して、あたかも「狩り」のようなまねごとの中で、ただぶっつけ本番で暴れるにわとりの「首を切る」というようなことをやってのけるのは、「授業」という名前を借りた、ただの「野蛮な」「殺し」にすぎないものになっていたとわたしは思う。だから鳥山はひたすら「殺す」という言い方を連発しても平気だったのである。
(『「食べる」思想』p210)

 さてしかし、わたくしがもっとも興味を持ったのは鳥山敏子先生の行った授業そのものでも、それに対する著者の批判でもありません。授業を受けた子供たちのその後です。豚を飼育して食べる授業の話を聞いたときに、結構な傷になる子もいるのではないかと心配したのと同時に、本当にそれで「命の大切さ」*3なるものは育まれるのか疑問に思ったからです*4

 村井の追跡インタビュー*5でわかったことは、かつての名物授業の「悪影響」はなかったということである。というか、子どもたちは、そんな一こまの授業を、そんなに深くは思い詰めて心に刻み付けるわけではないということである。「ちょっと変わった授業を受けたなあ」というぐらいの感想でしか残っていないのが現実であった。
(同 p215)

 傷もないどころか、たいして印象に残っていないらしいです。これは喜ばしいようにも思いますが、しかし授業の目的からいったら失敗でしょう。「命の大切さ」なる意識や、食べるときの感謝の心を教えたかったわけですから*6

 幼き頃、家でニワトリを殺して食べることが日常の暮らしにあったという著者にしても、その経験が心に残っているということはなく、ただ「父と一緒ににわとりをこなして食べた」という記憶が残っているだけだそうです。また、授業を行った鳥山先生もその著書でおっしゃるには、

(戦後まもない、まだ幼い頃)広い庭に台が持ち出され、そのうえで次つぎにバラされていくにわとりをみていたわたしの記憶のなかに、かわいそうにという感覚の片鱗も残っていない。いや、むしろ夕食を思って舌なめずりをしながら見ていたことをはっきり覚えている。
(同 p217)*7

のだそうです。動物を殺して食べるなんてのはそんなもんで、だから悪影響なんかでるものか、というわけです。

 豚を飼育して食する授業は2年間かけているそうなので、単発のニワトリ狩りとはまた違った経験を子どもたちに植えつけているかもしれませんが、日々の暮らしのなかで飼育したニワトリを食していた著者や鳥山先生がその程度なのですから、悪影響の心配も少ないかもしれません。反面、いい影響の出る可能性も低いでしょうが。

 だいたい、今よりも家で家畜家禽を育てて食していた時代のほうが凶悪犯罪多かったわけですし。飼育と食の繋がりが見えるようになったところで、「命の大切さ」意識や「感謝の心」というものが育つものなのかどうか、はなはだ疑問です。

 食べ物に対する感謝の心は、食べ物が乏しくなればどうしたって芽生えるんでしょうけどね。幸か不幸か、まだ豊かだから。

*1:wikipediaの「鳥山敏子」情報によれば、豚一頭を丸ごと食べるという授業もしていて、これらに影響を受けた黒田恭史が豚を飼育して食べる授業を行ったとあるので、やっぱり繋がりはあるみたい。

*2:具体的な内容はwikipediaで見つけた「じゃのめ見聞録No.51 「生き物のいのち」と「あなた」」で読めるということを今になって発見しました。

*3:というか、どういう意識を持てばそれが「命の大切さ」意識を持ったとされるんだろう。

*4:そういえば、『肉食の思想』では家畜が近くにいたヨーロピアンは、動物と人間の間に繋がりを見出すのではなく断絶を作った、その断絶の論理が他人種・他階級との断絶意識も育んだ、とある。「命の大切さ」意識はどこへ?

*5:村井淳志『「いのち」を食べる私たち―ニワトリを殺して食べる授業 「死」からの隔離を解く

*6:もっとも、まったく影響していないかどうかは実際のところわからない。無意識に働きかけているなにかが残ってるかもしれないわけだし。

*7:いのちに触れる―生と性と死の授業』からの引用だそうなので、孫引きです。