食中毒原因菌の生存温度について

疑問の発端はCooking for Geeks ―料理の科学と実践レシピ (Make: Japan Books)の記述

130°F/55℃ 食中毒原因菌が生存できる温度の上限
(『Cooking for Geeks』 P148)

 これって本当なんでしょうか。それというのも、少なくとも大量調理施設においては、ノロウイルス対策として中心温度85℃で1分以上の加熱、それ以外のものに関しても中心温度75℃で1分以上加熱と叩き込まれているはずなのです*1

2.加熱調理食品の加熱温度管理
加熱調理食品は、別添2に従い、中心部温度計を用いるなどにより、中心部が75℃で1分間以上(二枚貝ノロウイルス汚染のおそれのある食品の場合は85℃で1分間以上)又はこれと同等以上まで加熱されていることを確認するとともに、温度と時間の記録を行うこと。
大量調理施設衛生管理マニュアル

 「生存できる温度の上限」というのが、必ずしも死滅させるための温度ではないので多少食い違いがあってもおかしくはないんですが、それでもちょっと怪しいんじゃないのこの記述、と思ったのでした。

 とは言え、わたくしは疑り深いと同時に、怠惰でもあります。覚えたことはすぐ忘れますし、覚えなきゃいけないことに関しても、あまり覚えておりません。したがって、最低限の知識にあたる、85℃で何分とか、70何℃でなんちゃらとか、その程度のことはなんとか覚えているのですが、それ以上のこと、どの菌がどの温度で死滅するとかの各論については、全く覚えていないのです。

 というわけなので、せっかくですので簡単に調べてみました。

とりあえず手近にあった「食品衛生学 (ネオエスカ)」では

 ウエルシュ菌とセレウス菌については芽胞*2の耐熱性についての記述はあったのですが、栄養細胞*3の耐熱性についてはまったく記述がないのでわかりません。それから、ボツリヌスのこれは「産生された毒素より、菌体のほうが熱抵抗性が強い」との表現なのですが、ひょっとしたら芽胞の耐熱性についての記述なのではと疑っています。

 また、ブドウ球菌ボツリヌス菌に関しては、食品内で産生された毒素が原因となるので、菌自体の耐熱性だけが問題となるわけではないことにも注意が必要です。ブドウ球菌の毒素は、120℃30分の加熱でも失活しないとのものすごい耐熱性を誇っていています。一方のボツリヌス菌の毒素は、80℃10〜20分で不活化されるということなので、こちらは若干熱に弱いといえるでしょう。

 と、これだけではなんなので、もう少し詳しく書いてある本も当たってみましょう。

図書館で見つけた「食品微生物〈1〉基礎編―食品微生物の科学」によると

  • サルモネラ
    • 55〜60℃で、D値*4:0.8分以下〜1.0分以下*5
    • 52℃の加熱において、D値は対数期*6で3.1±0.1分、定常期*7で32.5±2.5分*8
    • ミルク中の加熱で、D値は51.8℃→21.12分、57.2℃→1.70分、62.8℃→0.11分、68.3℃→0.02分*9
    • 簡単にまとめれば、対数期なら、55℃以上での加熱なら2分で1/10にはなる。ただし、増えきってしまった後では、55℃程度の加熱だと1/10にするにも30分以上かかってしまう。
  • 腸炎ビブリオ
    • 「熱に弱く、60℃の加熱で急速に死滅する」
    • 52℃でのD値は、1.3〜1.6分
  • カンピロバクター
    • カンピロバクターはジェジュニとコリがあるけれど、ジェジュニのほうで、D値は56℃→0.78分、60℃→0.12分
    • コリのほうは、D値60℃→0.13〜0.14分
    • ジェジュニの牛ひき肉中でのD値は、55℃→0.73分、58℃→0.28分
    • これも簡単に言ってしまえば、55℃以上で加熱すれば、1分経たないうちに1/10に。
  • 病原大腸菌
    • 57.2℃で、D値:0.8〜1.5分
    • 16.2秒加熱後の菌数を調べると、最初10^5レベルであったものが、60.0℃で10^4、63.0℃で10^3レベルになり、64.5℃では検出されなくなった。
    • 「10^6程度の濃厚な汚染があったとしても、70℃、1分程度の加熱でおおよそ死滅するといえる」
  • ブドウ球菌
    • ブドウ球菌リステリア菌よりさらに熱抵抗性が高く、(略)菌数が多いときには60℃前後での殺菌はほとんど不可能といえる」
    • 60℃でのD値は、カスタード中での加熱で4.11〜4.58分、チキン中での加熱*10で2.72〜3.05分。
    • 1×10^7の菌を殺すのに必要な時間は、カスタード中で54.4℃→530〜540分、60℃→53〜59分、65.6→5.2〜6.6分、チキン中*11で、54.4℃→425〜450分、60℃→40〜47分、65.6℃→3.4〜5.2分
    • 毒素はとても熱に強いよ!
  • ボツリヌス菌
    • 「細胞胞子の耐熱性」という表にボツリヌスがあって、121℃の加熱でD値0.10〜0.20分の記述あり。やっぱりネオエスカの「ボツリヌス菌:120℃4分で死滅」は芽胞についてか?
    • 毒素は比較的熱に弱い。80℃10分の加熱で壊せる。
  • リステリア属菌
    • 生乳中での加熱において、D値52.2℃→43.57分、57.8℃→6.25分、63.3℃→0.47分、68.9℃→0.06分。
    • 滅菌乳中での加熱において*12は、D値52.2℃→28.53分、57.8℃→4.10分、63.3℃→0.43分、68.9℃→0.07分
    • 65℃以上の加熱なら短時間(0.5分くらい)で1/10になりそう。ただし、60℃以下だとかなり時間がかかる。
  • ウエルシュ菌とセレウス菌については、やっぱり芽胞の熱耐性の記述しかない。栄養細胞についてはよくわからない。

で、結局55℃は食中毒原因菌の生育できる上限なの?

 今回ざっと見た限りでは、芽胞を除いて熱に一番強かったブドウ球菌で、10^7個の菌を死滅させるのに、54.4℃の加熱で540分とあります。時間はかかるものの死滅させることが出来るということは、ブドウ球菌にとって54.4℃は生存温度の上限を越えているということで、冒頭の記述を覆すものはありませんでした。

 また、芽胞の記述しかなかったウエルシュ菌とセレウス菌ですが、セレウス菌についてはネオエスカの『食品衛生学』のほうに、

本菌の食品中での増殖温度を考慮して、米飯やスパゲッティは55℃以上、または10℃以下で保存すること

 本菌の発育温度は10〜48℃で、加熱された食品中に生き残り、徐々に冷却されるときに発芽増殖する。

とあります。

 つまりは、いったん加熱されて栄養細胞としてのセレウス菌は死滅しても、48℃まで温度が下がったときに、生き残っていた芽胞が活動を始めるというのです。それを防ぐために55℃以上で保存しましょうと言ってるわけで、これもまた、55℃は生存に適していないことを示しているといえます。

 それどころか、最初に戻ってよくよく『Cooking for Geeks』を読み進めてみると、そもそも55℃という温度設定自体が、セレウス菌をもとに作られているみたいです。

FDAの「Bad Bug Book」に掲載されている食中毒性病原菌の中では、セレウス菌が最も高い生育限界温度(131°F/55℃)を持つ。

 さらに大切なことには、55℃はあくまで生育限界温度であるので、死滅、あるいは毒性を示さない程度の菌数に落とすために、より高い温度の加熱を勧めています。

すべての飼育された鳥類の肉は、内部温度が最低でも165°F/74℃に達するまで加熱すべきだ。
――http://www.cdc.gov/nczved/divisions/dfbmd/diseases/campylobacter

 ここで我らが75℃1分と、ほぼ同様の基準を見つけることが出来たのでした。

*1:書いてから思ったけど、ノロウイルスは「ウイルス」だから、食中毒原因「菌」ではないのね。

*2:休眠状態になったもので、卵みたいなもん。って理解であってます? 不安な人はwikipediaを見ましょう。

*3:休眠状態ではなく、活動して、恋をして、子を産み育て、ときには落ち込むこともある、つまりはわたしたちのような状態にある細菌のこと。

*4:当該温度で加熱されたときに、菌数が1/10に減少するまでの時間のこと。

*5:正確にはサルモネラの一種のチフス菌について

*6:ものすごく増えている期間

*7:増えきって一定数に保たれている状態

*8:これまた正確には、サルモネラ・ティフィムリウム(ネズミチフス菌)について

*9:サルモネラ・エンテリティディスについて

*10:正確には、チキン・ア・アラ・キング(chikin a la king)中での加熱、とある。どんなのかと思ったらこういう料理だとか。

*11:もちろん、チキン・ア・アラ・キング中で

*12:しかし「滅菌」乳なのだから菌はいないんじゃなかろうか。二次汚染ってこと?