食物由来のチアミナーゼ活性について

 『卑弥呼は何を食べていたか*1』によると、古代日本の貴族社会ではビタミンB1チアミン)不足による脚気が流行っていたそうです。これはもちろん、玄米ではなく精米した白米食に移行したことによるものなのですが、それだけでなく、魚介類の生食が大きく影響しているというのです。

チアミン不足は、倭国の大王に農業技術集団春米部(つきしねべ)が隷属して、稲作や脱穀と精米で奉仕する古墳時代に兆しが現れていたはずです。そして、古代びとが玄米から白米食に移行したときから顕著になったでしょう。加えて、豊富な海産貝類の生食(膾(なます))が拍車をかけます。
(p152)

 貝類の生食が拍車をかけるとはどういうことなんだろうかと思っていると、以下の記述に行き当たります。

自然界に存在するアノイリナーゼという酵素チアミンを分解します。アノイリナーゼを多く含む食材には、古代貴族たちが好んだ、ハマグリ、アワビなどの貝類、エビ・カニなどの甲殻類、淡水魚のコイ、山菜のワラビがあります。
(p154)

 アノイリナーゼ(=チアミナーゼ)なんてまったく気にしたことがなかったのですが、著者はこれが、古代の貴族社会に脚気が流行った大きな要因のひとつだというのです。

 でもなー、とわたくしは思いました。それらの食物にB1を分解する酵素が含まれていたとして、食べたときに体内でどの程度の活性を示すのかは、また別問題だよなー。

 このように軽く受け流していた食物由来のアノイリナーゼ(チアミナーゼ)なのですが、別件の調べ物で『ハリソン内科学*2』を眺めていたら、次のような一文が目に入りました。

紅茶、コーヒー(カフェイン含有の有無にかかわらず)、生魚、甲殻類チアミンを壊すチアミナーゼを含んでいる。そのため、大量のコーヒーやお茶を飲むことは、体内のチアミンを理論上は減少させることになる。
(p458)

 どこかのよくわからない歴史研究家(失礼!)が言うことならいざ知らず、定評あるという医学書が言っていることです。これは無視できないでしょう。

 しかしながら、一方でなんともはっきりしない言いようです。「体内のチアミンを減少させる」ではなく、「理論上は減少させる」です。理論上はそうだけれども、実際そのようなことはほとんどない、ということなのでしょうか。だとすると、やっぱりチアミナーゼは体内で活性を維持しない、無視できるものなのでしょうか。

ネットの論文はどういってるの?

 気になったときはネットで調べてしまえ、という怠惰な現代人であるわたくしは、やはり普段の怠惰さを発揮して、J-STAGEにて「チアミナーゼ」を検索してみたのでした*3

 意外に多くヒットして驚きでした。日本水産学会誌に掲載されているものが多く、実験飼料には大抵カタクチイワシが使用されています。どうやらカタクチイワシチアミナーゼは、水産業界ではおなじみのようでした*4

 ざっと見てみると、

  • チアミナーゼを含むカタクチイワシのみでハマチ育てると、摂食量が減ったり、57日後の生存率が13.4%であるけれども、脂肪コーティングしたB1剤を投与するとこれが回復したり*5
  • 同じくチアミナーゼを含むサンマを飼料にしてハマチを育ててみると、34日目には生存率が3.4%になったり*6
  • ニワトリでも、カタクチイワシ抽出液を飼料に混ぜて与えると摂食不良、発育不全、歩行困難、死亡などが見られたり*7

と、結構散々な有様です。ニワトリについても魚類についても、消化吸収代謝がどう行われているのか全く知りませんが、胃では胃液が出て腸管ではたんぱく質を分解する酵素が出ているでしょう。にもかかわらず、チアミナーゼを含む飼料を与えると、このように大きな影響が出るようなのです。

 さらにciniiで見つけた資料によれば、

ウシ、ヒツジ、ブタ、ウマ、ミンク、ネコ、ハト、ニワトリ、シカ、家兎等においても飼料中に含まれるチアミナーゼあるいは消化管に増殖しているアノイリナーゼ産生菌の作るアノイリナーゼが、神経系の異常をもたらすという報告が蓄積されている。
(アノイリナーゼの研究 食品による栄養摂取傷害の一例 : (4)畜産分野におけるアノイリナーゼ関連疾患*8

と、漁業だけでなく畜産の各種についても、かなり多くの種でチアミナーゼによる被害は報告されているようです。

 魚やニワトリはともかく、牛や羊などの反芻動物なんて、何回も胃を通してかなりしっかり消化していそうなのに、チアミナーゼの活性は失われていないようです。しかも、実のところビタミンB1って、

 ヒト及び他の霊長動物は、ビタミンB1の供給を食品に依存している。
(『健康・栄養食品アドバイザリースタッフ・テキストブック*9』p19)

というから、逆に他の動物は腸内細菌とかが合成してくれるので、食品から摂取しなくていいわけです。

一般に反芻胃動物は正常細菌叢によるB群ビタミンの合成によって必要量は充足可能で、外界からの摂取は無くても健康を保つと言われている。しかしCCN*10の反芻胃動物の胃に検出されるチアミナーゼ活性は、通常腸管内で合成されるビタミンB1と外界から摂取するものを加えた推定値(3.0-8.5mg/day/sheep)を十分分解し尽くす活性である。
(アノイリナーゼの研究 食品による栄養摂取傷害の一例 : (4)畜産分野におけるアノイリナーゼ関連疾患*11

チアミナーゼを含む)わらびの根茎を実験的に飼料の25-35%混入すると、羊の消化管の全長に渡ってチアミナーゼ活性が見られ、未消化の根茎粉末が糞便中に見られるという。
(同上)

 それでも破壊し尽くすチアミナーゼ活性。恐ろしい。

 これでは、『卑弥呼は何を食べていたか』の著者が、チアミナーゼを多く含む生の魚介類を多く食べていたことが、古代貴族に脚気が流行った一因であると言うのも頷けます。

現代のヒトでは気にしなくていいの?

 では、現代のわたくしたちは、生の刺身を食べるのは大丈夫なのでしょうか*12。「海産魚におけるチアミナーゼの分布*13」を見ると、チアミナーゼ活性が高いのは、主に内臓系であって、普通刺身で食べる部分には、そう多くはなさそうです。

 たとえば、再三出てきたカタクチイワシも、肉身、赤身に25ugB1/g・minのチアミナーゼ活性が存在するところ、肝臓には94ugB1/g・min、腎臓には272ugB1/g・minと、この単位がどの程度なのかはよくわかりませんが、肝臓や腎臓のほうがはるかにチアミナーゼ活性が高いことがわかります。

 ほかにも、サンマの肉身に15ugB1/g・min、赤身に36ugB1/g・minのところ、腸には364ugB1/g・min、腎臓には720ugB1/g・minのチアミナーゼ活性がありますし、奈良、平安によく食べていたであろうフナは、肉身、赤身に15ugB1/g・minのところ、腎臓450ugB1/g・min、脾臓にはなんと1,087ugB1/g・minもあるのです*14

 栄養学的には、日本人の食生活から考えると一般にV.B1は不足がちであるので、筋肉部にTh-1*15を持つ魚種の生食頻度が高い地域では注意する必要がある。
(「海産魚におけるチアミナーゼの分布」)

 筋肉部にチアミナーゼが多い魚と言うと、表にあるなかでは、アカヤガラが145ugB1/g・minでかなり多い部類でしょうか。しかし仮に、古代貴族がフナの内臓は食べずに肉身部分のみを食べていたのにそれでもダメだったとすれば、サンマだって刺身でたくさん食べたらダメかもしれません。

 まあでも、疲れてきたこともありますし、なんにしても食べ過ぎなければオッケーでしょ。っていう適当なシメでどうでしょうか。

ちなみに!

 ひとつだけ読むんだったら

っていう便利な総説があります。先にJ-STAGEで論文漁ったからいくつか読むはめになったけど、最初にこれを見つけていればひとつで済んだじゃないかとがっくり来た。やっぱciniiだったか。

追記(2013.02.20)

 便利な総説からこの文章の引用だけ追加しておきましょう。

食用魚の生食摂取によるビタミンB1欠乏の可能性は古くから警告されていたことであるが、チアミナーゼ陽性魚のチアミナーゼ含量は上記の表に有るごとく筋肉等通常の生食部分では相対的に少なく、心配するほどではない。内臓などを珍味として食用する時は、摂取が過量に過ぎないよう注意を払う事が望まれる。

*1:卑弥呼は何を食べていたか (新潮新書)

*2:ハリソン内科学 第3版 (原著第17版)

*3:なぜいつものようにciniiではなかったか。前日にJ-STAGE検索をして、結構いいブツを見つけたので、あらJ-STAGEいいじゃないと思ったからなのです。

*4:といっても、掲載年月日は古くて、1970年代だったりします。現代にも通用するのか不安。

*5:https://www.jstage.jst.go.jp/article/suisan1932/40/7/40_7_675/_article/-char/ja/

*6:https://www.jstage.jst.go.jp/article/suisan1932/44/6/44_6_653/_article/-char/ja/

*7:https://www.jstage.jst.go.jp/article/suisan1932/40/3/40_3_309/_article/-char/ja/

*8:http://ci.nii.ac.jp/naid/110004625282

*9:健康・栄養食品アドバイザリースタッフ・テキストブック

*10:Cerebrocortical Necrosisという、羊において見られる致死性の疾患で、チアミナーゼの関与が確立しているものだそうです。

*11:http://ci.nii.ac.jp/naid/110004625282

*12:多くの人が刺身やお寿司を食べているので、大丈夫以外の結論はないと思いますが。

*13:https://www.jstage.jst.go.jp/article/suisan1932/39/1/39_1_55/_article/-char/ja/

*14:ちなみに、最適pHは種類によって違うけれども、やや酸性側に山があって、概ね5.0-6.5くらいが多い。pH3.0でも、低下はしているものの、活性は維持しているものも多い。胃酸にも負けないゆえんか。

*15:チアミナーゼ 1