『「食育」批判序説』批判

「食育」批判序説――「朝ごはん」運動の虚妄をこえて、科学的食・生活教育へ

「食育」批判序説――「朝ごはん」運動の虚妄をこえて、科学的食・生活教育へ

 いやぁ、すごい本です。

 以前から何度か記していますが、わたくしもいわゆる「食育」について、それほど肯定的に捉えてはおりません。ですので、食育への批判が出てくるのは大いに望むものでありますし、食教育を行う以上、それがしっかりした科学的なデータに基づいていて欲しいと願うものでもあります。ですので、本書のタイトルとサブタイトルは、まさしくわたくしの願望にぴったり沿うものであったのです。

 ですので、本書を見つけたときにはあまり中身を確認せずに、ウキウキしながらレジに向かったものなのですが、では内容も沿っていたかというと、これが全く違っていました。

経験はそのままでは科学ではない、と思う。

 著者は本書の中で、再三に渡り日常的な経験の重視を訴えます。断食実践者や食養運動家たち、桜沢如一村井弦斎を、命をかけて自らの身体で実験している(日常的な経験)のであると持ち上げて、現代栄養学の分析的手法を、経験から乖離した「机上の研究者」と批判します。

というのも、<食育食養家>たちは、分析的近代医学・営養学の台頭・衛生・教育行政および制度を介したその社会的正当化のなかにあっても、あくまでも自らの<経験>に支えられた発言を行なっており、朝食問題を解くさい、私たちには分析的研究ではなく日常生活経験、およびその次元での論理的思索こそが重要だからである。

 そして、甲田光雄やナイチンゲールの言葉を引いては、机上の研究者たちもまずは自分で試してみて欲しい、そうすれば、(食養なり、断食なりを)肯定否定はともかくとして、自分の中に冷静に位置づけられるであろうといいます。

 日常生活の経験から知見を得るのも、自分で試すのも悪くはありません。むしろ、科学的な常識に反する日常的な経験があるのであれば、それは研究してみる価値のあることでしょう。

 以前放送大学で薬についての講義を受けたときに、その時の講師が、民間伝承は宝の山だと言っていたのを思い出します。なぜかはわからないけど、昔から歯が痛い時には柳の枝をかじるといいと言われていた。研究していくと、柳の樹皮に含まれるアスピリンが鎮痛効果のあることがわかった。アスピリンを製造して、薬として利用した。科学は決して、日常を見ていないわけではありません。

 しかし、経験はそのままでは「科学」にはなりません*1。ある特定の個人が実践して、効果があったとします。でも、別の人では効果がないかもしれない。さらに別の人では、効果がないだけではなく、悪影響があるかもしれない。

 だから「机上の分析研究者」は、個人の経験ではなく「机上の研究」で多くのデータを得ようとするのです。多くのデータは、多くの「自分でやっている」人たちについての研究である疫学研究*2や、また「やらせてみた」人たちについての研究である介入実験の結果です。それらは、研究者個人が「自分でやった」データよりも、はるかに多数の、はるかに多様な人のデータを含んでいます。だからこそ、それをもとに多くの人に当てはまるであろうことが言えるのです。

 さらには、そうやって得られた多くの「自分でやっている」人たちや「やらせてみた」人たちの研究事例は、それ1つだけでは主流とは成り得ません。いくつかの研究事例で同じような結果が出て、はじめて主流の意見となるのです*3

 もし本当に、著者の持ち上げている人たちの取り組みが効果を挙げていて、なおかつ主流に取り上げられていないとすれば*4、それはまだまだ「自分でやっている」「やらせてみた」人たちのデータが不足しているのであって、机上の分析科学者たちが日常を無視しているからではありません。

 人を対象とする研究は、費用もかかるでしょうし、また倫理的な問題からクリアできないものもあるでしょう。しかし、その手間を惜しんでおいて分析科学者たちが悪いのだというのは、筋違いではないでしょうか。

まだいくつか

 書きたいこともあるんですけど、夜も更けて参りましたので、それはまた別の機会ということで御容赦いただきたく存じます。

*1:蛇足だけど、著者はやけに食養が科学であることを主張する。あまりに多く出てくるから、もういいよ、その「科学」はあなたに上げるからさ、と言いたくなってしまった。

*2:個人は個人において様々な実践を行なっているでしょう。それはもちろん、「断食しています」のような極端なものは少ないだろうけど、なんらかの傾向のある食生活をしている。なんらかの傾向のある食生活をしている個々人をガバッと集めて、各人の健康状態等の傾向を調べれば、大雑把ではあるけどある特定の生活に特徴的な健康状態等が見えてくるでしょう。だから、「自分でやっている人」たちの集合ではなく、集合のなかにさまざまな「自分でやってみている人」たちが含まれる、という意味ね。

*3:と言ってるわたくしは、別に学会経験者でもなんでもないのでした。なので、「主流意見となるのです」などと言い切っていますが、本当にそうなるのかは知りません。一応勉強した限りにおいては、科学とはそういうものなのだと思っているだけなのでした。

*4:これは仮定ではなく、実際取り上げられていないでしょう。見ないもん。