ネフローゼ症候群の食事療法についての歴史

 先日、久しぶりに開いた臨床栄養学のネフローゼ症候群のページには、このような記述があったのでした。

 食事療法の原則はこれまで高タンパク、低塩分とされてきたが、平成9年(1997)の改訂で軽度のタンパク制限、減塩食に変わった。
(『新しい臨床栄養学』*1p157)

 腎疾患にはたんぱく質制限が当たり前と思ったのですが、ネフローゼについてそうなったのは、それほど昔のことではないみたいです。でも考えてみれば、ネフローゼ=高たんぱく食というのも、意外な組み合わせではありません。

 ネフローゼは、定義からして高度のたんぱく尿を伴います。本来は漏れださず、また、少量漏れたとしても再吸収されるはずのたんぱく質が、尿中に排泄されてしまう状態です。体内のたんぱく質がどんどん出て行ってしまうわけですから、その分補給しましょうという高たんぱく食が推奨されるのも、さもありなんと言うわけです。

 では、なぜこれがたんぱく制限食に変わったのか。

 学生時代の記憶で思い当たるものを拾いだせば、たんぱく代謝産物の尿素とかを上手く排泄できなくなって、体内に蓄積することを防ぐのではないか、と思い至るのですが、どうもそれだけではないようです。

高タンパク食は輸入細動脈を拡張して糸球体にかかる圧が高くなり(糸球体高血圧)、糸球体の傷害が進むことが判明して以来、タンパク質を制限する方向になった。
(同 p150-151)

 高たんぱく食が糸球体の血圧を高くし、それが糸球体を痛める。だからたんぱく質を制限しましょうと、こういうことなのでした。

 なるほど、勉強になった。で終わってもいいのですが、せっかくなので、高たんぱく食が勧められている文章が見てみたくて、ちょっと図書館をあさってみました。

 まずは新しい本にどう書いてあるか。先の『新しい臨床栄養学(第4版)』は2005年出版ですので、それよりも新しいものを図書館で探してみました。見つけたのは、『臨床栄養医学』2009年出版*2です。

ネフローゼの食事療法について)
a.蛋白質
 いまだ適切な蛋白摂取量に関するコンセンサスはない。以前は低蛋白血症に対して肝での蛋白合成を期待して、高蛋白食が試みられた時代があった。しかし、蛋白質合成は増加するが、それ以上に腎での蛋白異化が生じるため効果は相殺される。そればかりか、高蛋白食は腎血行動態を抑制し、糸球体高血圧を惹起し、尿蛋白排泄量がさらに増加する可能性があり、現在では少なくとも高蛋白食はもちいられなくなった。現在ではむしろ低蛋白食により、尿蛋白が減少し、腎機能低下の進行が抑制される可能性が報告されているが、その有効性を否定する報告もある。
(p344)

 ちょっと意外でした。2005年出版の本では、1997年のガイドラインで「タンパク制限となった」と書かれていたことに対して、2009年のこの本では、未だに適切なコンセンサスが得られてなく、「少なくとも高蛋白食は用いられなくなった」という、随分弱い書き方がされています。

 ではそもそも、1997年のそのガイドラインにはどう書かれていたのでしょう。

ネフローゼ症候群に対しては、従来高蛋白食が推奨されてきた。しかし、保存期慢性腎不全に対してもし低蛋白食の立場をとるのであれば、ネフローゼ症候群を呈するような進行性の強い腎障害に対しては当然低蛋白食の立場をとるべきである。また多くの報告は、過剰な蛋白摂取が単に尿中蛋白排泄量を増加させるのみであることを示している。そこでネフローゼ症候群に関しては少なくとも高蛋白食の立場はとるべきではないと考え、「軽度の蛋白制限食」とすることにした。
腎疾患患者の生活指導・食事療法に関するガイドライン(1997)*3 p19)

 やはり、明らかな強い根拠があって「低蛋白食」としたわけではなさそうです。

 ちなみに、「保存期慢性腎不全に対してもし低蛋白食の立場をとるのであれば」と、ネフローゼ症候群の低たんぱく食とする根拠となった保存期慢性腎不全の低たんぱく食は、「腎不全進行抑制効果」が期待できるというのがその理由みたいです。

 次に、1997年のガイドラインが出来る前、1994年に出版された、『臨床栄養学』*4を見てみましょう。

 ネフローゼ症候群では、大量のタンパク尿により排泄されるタンパク質量を食事で補給する高タンパク質食を取り入れていたが、現在は摂取タンパク量を増加させると、肝におけるアルブミンの合成は増加するが、その増加合成分はすべて尿中に排泄され、尿タンパク量を増加させるだけで、逆にタンパク異化作用を亢進させる。低タンパク食の方が尿タンパクが減少し、血清アルブミン値の改善報告が多い。むしろ腎への負担を少なくする意味もあり慢性腎不全食を適応させる。
(p136)

 ガイドライン作成の前ですが、すでに低たんぱく食を推奨しています。その根拠としても、「腎への負担を軽くする意味もあり慢性腎不全食を適応」という、当たり前ですが、ガイドラインと同じものです。違うのは、この書き方だとだいぶ根拠が強そうだと感じるくらいでしょうか。

 ほぼ同じ年、1995年出版の『臨床栄養学ー食事療法の理論ー』*5でも、

 ネフローゼ症候群に対する食事療法は近年大きく変わりつつある。これまでの治療食の考え方は、高度のたんぱく尿により低たんぱく血症をきたすことから、尿中に失ったたんぱく質を補い、低たんぱく血症を改善するためには高たんぱく質食にする必要があるとして、国際的にも永らく実施されてきた。しかし、近年、高たんぱく質食の効果に疑問がもたれ、かえって症状を憎悪させることが明らかとなり、高たんぱく質食が適用されなくなってきている。
(p167)

たんぱく質については、高たんぱく質食を適用すると尿たんぱくを増加させるばかりでなく、血清アルブミン値、血清総たんぱく値を低下させることが証明され、また、今まで考えられてきた以上に糸球体を傷害することも判明した。
(同上)

このように低たんぱく食が推奨されていて、しかも結構力強いです。

 1989年出版の『臨床栄養学各論』*6では、さすがに様子が変わってきます。

 腎臓病の最も特徴的な症状はタンパク尿であるといえる。高度の持続性なタンパク尿を生ずるネフローゼ症候群がその典型である。尿タンパク排泄が多量なときには、低タンパク血症となり、ネフローゼ浮腫が発生する。したがって、ネフローゼ症候群の食事は高タンパク食とするのが常道になっている。
(p101)

 やっと出会えた高たんぱく推奨文! 単純に想像すれば、1980年代まではネフローゼ症候群の食事としては高たんぱく食が推奨されていて、でも1990年代に入ると少しずつ風向きが変わり、それが1997年のガイドラインでのたんぱく制限に結びついたと、こういう感じなのでしょうか。

 ちなみに、1989年のこの本でも、腎不全の時は低たんぱく質を推奨しています。

 腎不全の食事は低タンパク高エネルギー食である。
(p106)

 なぜか。

 腎不全の病体は記述のように血中窒素化合物の増加(高窒素血症)とさまざまな電解質異常を呈することから明らかなように、高タンパク質食は有害である。これに対して低タンパク質食は腎不全動物の成長、発育、腎機能、寿命等に好影響を与えることが観察されている。
(p109)

 今までは、おそらくヒトについての、高たんぱく食が糸球体に与える悪影響が書かれていましたが、この本は低タンパク食の動物に与える好影響が書かれています。ヒトではなく動物についての観察結果であることが、誠に勝手ながら、時代を感じてしまいます。

蛇足、というか本文の大半がすでに蛇足なのだけど、低たんぱく→低リン食について

 1989年出版の『臨床栄養学各論』では、今までの本では触れられていなかった流れについても書かれています。

 臨床に用いられる低タンパク質食は、同時に低リン・低カリウム食でもある。低リン食であることは、実験的に腎機能の憎悪予防に有効なことが認められている。
(p110)

 なぜか。

 腎機能が障害されて、ビタミンDの活性化が出来ない→低Ca血症→パラソルモン増加→骨からのCa吸収増加、リンの尿細管からの再吸収増加となって、高リン血症と血中カルシウムの反応で、リン酸カルシウム結石が生じる*7。で、このリン酸カルシウムの異所性石灰化が腎臓に生じると、

腎機能は進行性に障害され腎不全は悪化する。
(p111)

と言います。

 リン酸カルシウム結石が腎臓に生じると腎機能が悪化するというのは、高尿酸血症で尿酸結石が腎臓に生じると腎機能が悪化するというのを連想すれば頷けるので、ああ、なるほどと思うのですが、低たんぱく食が低リン食との関連で語られるのは正しいのでしょうか。

 疑問に思って新しい本を見返してみると、『臨床栄養医学』に「腎疾患の病体と食事療法の基本」(p350)というのがあって、そこに

病態 食事療法 効果
高リン血症 蛋白質制限(0.6〜0.8/kg/日) 血清リン低下
高リン血症 リン制限(mg)(蛋白質g×15) 血管石灰化抑制

というのがありました。

 低たんぱく食→低リン食は、今でも通用している理論でした。

*1:新しい臨床栄養学 改訂第4版

*2:臨床栄養医学

*3:ちなみにこのガイドライン、今でも日本腎臓学会ガイドラインのページに掲げられていますので、現役だと考えていいのだと思います。

*4:臨床栄養学

*5:臨床栄養学―食事療法の理論

*6:『臨床栄養学各論』光生館,1989.5.15

*7:どこかで見た流れですねこれ