『日本型食生活の歴史』への、部分的にしか読んでないから部分的な批判――「日本型食生活」は妥当かについて その2
前回までのあらすじ
食育でよく言われるところの「日本型食生活」はおそらく多分に美化されているんじゃないか、実際日本人はどのような食事をしていたのだろうと思って『日本型食生活の歴史』を借りて来たはいいものの、生来の怠け心に火がついて、本来の目的はどこへやら、現代に活かす部分のまとめだけ読んでわかった気になろうとしたわたくしでございました。八章の現代日本の食文化、また終章の歴史の教訓を生かそうという部分がそこにあたるわけですが、著者はそこで、高炭水化物が健康のもとだ、もっとでんぷんをたくさん食え、なんか昭和53年がいいとかお上はぬかしているけど、私に言わせれば昭和53年はもはや高でんぷん食から抜け切っている、いいのは昭和30〜45年までだ、その証拠に御覧なさい、昭和39年と比べて昭和53年は生活習慣病はこんなに増えているじゃありませんか、と仰っているのでした。
これじゃあ食育でよく言われる「日本型食生活」そのままの言い分じゃないか*1、昔の日本食は多分そんなに健康じゃないぞと、著者のいう高炭水化物食健康万歳論に疑問を感じたわたくしは、僭越ながら炭水化物はそういいものではないこと、高炭水化物食の必然の結果として現れる低脂肪摂取は異なるタイプの生活習慣病のリスク因子となることを記したのでした。
農政審提示の「日本型食生活」は妥当かについて その2
生活習慣病死亡率の増加について
さて、著者のあげている根拠のひとつが、生活習慣病の死亡率の増加です。すべては面倒くさいのであげませんが、以下は著者の使っている「成人病死亡率(10万人対)の推移」という表からがんをぬかした部分です*2。
病名 | 昭和39年 | 昭和53年 | 53/30伸率(%) |
---|---|---|---|
脳卒中 | 136.1 | 146.2 | 107 |
脳出血 | 117.4 | 44.3 | 38 |
脳こうそく | 8.9 | 62.2 | 699 |
その他 | 9.8 | 35.3 | 360 |
心臓病 | 60.9 | 93.3 | 153 |
慢性リュウマチ性心疾患 | 3.9 | 3.2 | 82 |
虚血性心疾患 | 11.6 | 39.8 | 343 |
その他の心疾患 | 45.8 | 50.3 | 110 |
この統計がなにをもとにしているのかはわからないんですが、でも著者の言うことはこういうことでしょう。
死亡率年次推移のグラフで、上は男性、下は女性のものです。縦軸は人口10万人に対する死亡者数を表しています。資料は平成18年度人口動態統計「死亡率(人口10万対),死因年次推移分類・性別」です。
これで昭和35年と55年と比較すると、脳血管疾患はともかく、心疾患もがんも55年のほうが増えています*3。でもこれって、死亡率なんです。たとえば近年の日本のように、高齢化が進んで老人が増えて若者が減ったりとかすれば、当然10万人あたりの死亡率というのは増加するわけです。まして生活習慣病は、多くが歳をとってから症状が出てくるものです。この種の比較には、死亡率ではなくて年齢調整死亡率のほうが的確でしょう。
やはり上が男性、下が女性のものです。縦軸は固定した年齢構成(昭和60年のモデル人口)のもとでの、人口10万人に対する死亡者数を表しています。資料は平成18年度人口動態統計「年齢調整死亡率(人口10万対),死因年次推移分類・性別」です。
これを見ると、昭和55年までの比較で見ても増加しているのは男性のがんで微増のみで、あとは男性の心疾患が横ばいな以外はすべて減少しているのがわかります。特に目を見張るのは脳血管疾患の激減ですが(このことは、「日本型食生活」をやめように詳しく記してあります)、心疾患のほうも平成に入ったくらいから減少に転じていて、とてもとても、昭和30年代に比べて生活習慣病の割合が増えている、とはいえないような状況です。
もちろん、このことは食生活のみならず医療の発展とか、その種のことも影響しているでしょう。死亡率ですから、いくらその病気が発症してもその病気で死ななければカウントされません。また、人口構成を固定した年齢調整死亡率で減少しているからといって、まったく問題がないとはいいません。脳血管疾患は一時期よりも減少しているとはいえ、心疾患もがんも死亡率自体は上昇しているし、なにより大多数の人がそれで亡くなることには違いないのですから。でもその原因を、「悪化している食習慣」に求めるのは、ちょっと違うんじゃないかと思うわけです。
肺がんの激増について
また著者は、増加割合の著しい生活習慣病のひとつに肺がんを上げられているんですが、肺がんってそんなに食生活の影響が大なものだったかとの疑問があります。
World Cancer Research FundとAmerican Institute for Cancer Researchによる、Food, Nutrition, Physical Activity and the Prevention of Cancerというレポートがあります。これのPart 3の表を見ればわかるんですが(といいつつ、英語が苦手なわたくしはついつい医療ジャーナルで世界を読むのかたが訳されているのを読んでしまいますが)、これを見ると肺がんのリスクをおそらく下げるものは果物、上げるのが確実なものは飲料水中のヒ素とβカロテン*4となっています。
果物は「くだものは二.七倍」*5(戦前と昭和54年との比較で)というように、昔よりも摂取量が増加しているものですから、この変化は肺がんの増加には寄与していないでしょう。βカロテンは、緑黄色野菜の摂取量は昔よりも現在のほうが多いですから、βカロテン摂取量も現在のほうが多いでしょう。喫煙者も多分にもれず、おそらく昔よりも多くの緑黄色野菜を摂っているものと思われます。
しかしながら、βカロテンの喫煙者に対する肺がんリスク上昇は、
ベータカロテンの有効性を検証するためにフィンランドとアメリカで行われた大規模なランダム化割付比較試験では、ベータカロテンによる肺がんの予防効果は認められず、むしろ発症が増えるという予想外の結果に終わった。(略)しかし、これらの研究で投与されたベータカロテンは、食物からは摂取できないほど大量(フィンランドの研究では20mg/日、アメリカの研究では30mg/日)であった。ちなみに、食品からの摂取量は平均値として2〜3mg/日程度、ほとんどの人で5mg/日以下である。
(『わかりやすいEBNと栄養疫学』p183)
というから、食生活の変化が肺がんの増加に関わっている確率は、現時点では極めて低いでしょう。とすると、著者の「昭和53年では手遅れだ、45年までの食生活にしなければ」という主張の根拠は、あやしいものになるんじゃないかと思われます。