マクロビ給食——もしくは、食育への危惧

 マクロビオティック 給食の研修会なんてあることに驚きつつ、でもそういえばマクロビ給食ってどっかで見たなと思ったら、学校給食2007年度3月号です。最初読んだときは、給食をこんな自分の趣味に使っていいんだと驚いたものだけど、いやはや、東北地方ではかなりメジャーな存在なのかもしれません。

 もっとも、この学校給食にとりあげられた福島県給食センターによるマクロビ給食は、

  1. 地場産物の活用から、作った人の顔がわかり、心のこもった「西郷村の農産物」を積極的に取り入れる。
  2. 子どもたちにかむ力をつけるため、毎日の給食に、小魚、スルメ、豆などを工夫してつける。
  3. 地元産米「ひとめぼれ」を胚芽精米とし、この中に五穀(大麦、ごま、もちあわ、もちきび、アマランサス)を混入する。週3回の米飯給食を拡充し、週4回とする。また、米粉パンも毎月取り入れる。
  4. 日本人の身体にあった和食の献立を中心に、魚や豆製品、野菜や海藻、種実類を取り入れるようにする。
  5. デザートは糖分の多い菓子類を少なくし、旬の季節の果物や野菜、乳製品などで工夫する。
  6. 衛生面に配慮し、心の込もった手作り給食を進める。
  7. 食に関する授業において、給食の食材が生きた教材になるよう献立作りを工夫する。

(『学校給食』2008年3月号 p28)

というのがコンセプトで、レベル7では玄米のみを食べるという、玄米狂マクロビオティクスとはあまり関係ないようです。そもそも玄米食べてないし*1

 でも、どらねこのかたも指摘されていますが、それによって子どもたちのマクロビに対する敷居が下がり、親和性が高くなるのが問題だと思うのです。学校で、食についての専門家である栄養士が言ってたことですから、そのまま信じてしまう子どもは多いでしょう。その子がある程度大きくなってから、「そうだ、マクロビがいいって先生言ってたな」なんて具合に、誤った健康法を実践して結果健康障害が発生する。なんてことだってあるかもしれません。

 これは僕の意見ですが、今の食育は道徳からの影響が強すぎるように思うのです。マクロビの思想は道徳的に見えますから*2、道徳を重視する今の食育とは相性がいい。伝統食賛美も、地元の食材食べましょうも、同じように道徳と相性がいい。だから、あまり批判されることなく流通してるんじゃないかと思います。

 命の大切さとか、感謝の気持ちとか、もちろんそれはそれで大切なことでしょう。でも、子どもたちに教えるべきことはそういうことではなくて、マクロビをはじめとするあふれる健康情報から身を守る*3、基礎的な栄養の知識ではないかと思うのです*4

 納豆を食べたらやせると聞けば納豆に飛びついたり、バナナを食べるとやせると聞けばバナナに飛びついたり。そんなことをしないだけの、栄養に関する知識と、健康に関する情報の見方を子どもたちに教えるべきなんじゃないかと思うのです*5

 食育と道徳を分離して欲しい。そうじゃないと、伝統食や米食地産地消への無批判な賛美から、栄養学的には意味のない、のみならず、害のある方向に向かうのではないかと危惧しています。

追記

 そういえば、僕が最初に「身土不二」「一物全体」を聞いたのって、学校にいた頃だった気がします。たぶん、食品学とかそこら辺の講義で、講義をしていた先生が肯定的な文脈で口にしてた覚えがあります。まあその先生もあまり深く考えずに口にしたんだと思いますけど、この種の思想というのは、案外栄養士全体の奥底に流れている思想なのかもしれません。

*1:だったら、「マクロビ」とか言わなきゃいいのに。

*2:って、しっかり勉強したわけではありません。講演とかでぱっと聞いたイメージ。

*3:そんなこと言って、この前マクロビからトリッキーなたんぱく質の摂りかたを学ぼうとしたんだけどね!

*4:と書いて、少し迷ってきた。子どもたちの将来の「健康」のために、栄養の基礎知識はもちろん役立つでしょう。でも「健康」は精神的な部分からだってくる。文化を無視した栄養主義は、けっして「健康」をもたらしはしない、とは思う。その意味で、食を通じて地域文化とか、社会的なつながりとかを発見することは、やっぱり大切なことだ。道徳もそのなかに分類することができるだろう。でも、それでも、栄養士を用いて食の授業でやるべき第一のことは、道徳ではなく栄養の基礎知識だと思う。

*5:僕自身も、持っていると胸を張って言える状態ではないですけど。